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 奈良女子大学
奈良地域関連資料

三 輪 山 縁 起    翻刻付き

資料提供: 大神神社

  『三輪山縁起』 解説

   大神神社蔵 巻子装 本紙雲母ひき 裏打有り
   本紙法量 縦 29.5 横 723.9

 三輪大明神は「常住不変の宝山」にあるとし、『日本紀』および「神官の先祖重代申伝」などを引用して三 輪山鎮座の諸神の縁起を述べるものである。

 内容としては、まず、当山の麓には八所権現があり、三輪山の北は伊弉諾・伊奘冉を祭神とする桧原大明神 が金剛界大日であり、南の大神大明神は胎蔵界大日である。
 これは山の南北が金胎両部の曼荼羅に相当するもので、御子宮は太郎王子、大御輪寺は次郎王子であるとす る。
 当社が山内の杉・松・榊を御神体として宝殿のないことについて「天台記文」をひき、兜率天にあっては三 輪明神と号して社なく、比叡山にあっては日吉権現として社があるという。
 ついで伊勢との関係におよび「当社と伊勢と一体異名炳然なり」とし、大己貴尊の三輪への降臨は伊勢より も早く神代のことであり、当山の「みむろ山」は本地を尊ぶ嘉名であると述べる。
 次に「当社大明神と日吉山王同体の事」として三輪大明神は大日如来と同体であり、当社の「あや杉」に影 向した大黒天のことに触れ、以下「当山の秘所諸社の霊験少々注之」「再諸社少々」として諸社の霊験を述べ ている。最後に行基が「西の大鳥居」から当社を拝して下向したことが記される。

 本縁起が両部神道の教義を踏まえたものであることは冒頭から明らかである。
 特に、三輪への降臨は伊勢より早いとすること、三輪明神が日吉山王と同体であることや大黒天化現のこと 、および若宮殿、すなわち大御輪寺の縁起に繰り返し言及することなどは、本縁起が興正菩薩叡尊の述作とさ れる「三輪大明神縁起」に依拠したことが想像され、したがって原本は大御輪寺に伝られたものである可能性 が高い。

 巻末には天文20年(1551)卯月十九日とあり、「和州三輪馬場邑」とあるが、この村は大神神社前に位置し、 神主らの居住地高宮と街道および大御輪寺に接した集落からなっていた。

 なお、本縁起の異本として『三輪叢書』・『神道大系』所収本がある。ともに転写本で字句には若干の相違 があるが、年紀はいずれも同じである。
 本巻はその書体や紙質などから近世末に書写された一本と思われる。

          元興寺文化財研究所 高橋平明


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