春日宮曼荼羅

奈良市南市町自治会蔵 (奈良国立博物館寄託)


 春日宮曼荼羅は、春日神を崇敬する藤原氏が遙か遠く奈良まで参拝をする代わりに、京都にて遙拝する目的で制作が始まった。『玉葉』寿永二年(1184)五月十七日条には、奈良僧正から届けられた「春日御社一鋪」を九条兼実が自宅にて拝んだことが記される。また『花園天皇宸記』正中四年(1325)十二月二五日条によれば、この頃には大勢の貴族が春日宮曼荼羅を所持しており、彼らは「社頭の儀(実際の参拝)」を模して絵を供養したと記されている。
 現存する春日宮曼荼羅の多くは、画面下辺中央の一の鳥居を起点に、参道が上方へと続く構図をとる。左手に東西二塔を眺めながら参道を進むと、春日本社(一宮〜四宮)へ至る。本社の右手には春日若宮社。画面上辺に御蓋山・春日山がそびえる。実際の奈良の地形を、西(下方)から東(上方)へ正確にとらえている。
 南市町自治会所蔵本の特色は、建造物や自然景あるいは鹿たちの様子がリアルに描写されていること、また社殿と山並みの中間に一宮=釈迦如来・二宮=薬師如来・三宮=地蔵菩薩・四宮=十一面観音・若宮=文殊菩薩を、顔貌に浮かぶ表情や持物の一つひとつまで実に丁寧に描出していることが挙げられる。眼を凝らしてみれば、若宮社の神楽殿に童子姿の若宮神が影向し、烏帽子をかぶる男性貴族と対面する場面が、幻想的に描かれている。こうした細部描写を本データベースの画像ビューアで、是非確認して欲しい。
 描写の技法や描かれた風景の景観年代から考えて、本図の制作時期は13世紀後半までさかのぼる。現存する春日宮曼荼羅としては早い時期の作例である。また現存する春日宮曼荼羅としては最大の作品である。画幅は一枚絹(一幅一鋪)で、縦横一メートルを越える。
 大画面でありながら細密な描写をみせる本図は、類品の多い同種の絵画のなかでも際立った秀作として、日本中世絵画史上もっとも注目すべき遺品のひとつである。

(参考)
谷口耕生 「南市町自治会所蔵春日宮曼荼羅試論」 有賀祥隆編『論集・東洋日本美術史と現場』竹林舎、2012年


春日宮曼荼羅

春日宮曼荼羅