いひをこせたり。 ○ねんしわひ、 念侘也。 文字の声にかくは切成心を いふ。 愚云、 思ひわび也。 念侘ヲモヒワヒ。 師曰、 男より帰れ共 いわぬ、 程ふるに随て後悔也。 上の辞に聊なる事 に出ていにしも、 堪忍の心なきに依て也。 又、 今、 男のかたへ歌を送るも、 定心なき男のかへれといひ やすらんとおもへとも、 さもなし。 ほとふるに随ひて、 後悔して、 是をよみてやる歌なり。 いまはとて忘る草の種をたに人の心にまかせすもかな 今は、 とは限と也。〈引歌〉忘草心なるへき種たにも 我身になとかまかせさるらん。 惟曰、 さもあれとて 打置は、 忘草を心に生する世の也。 業の心に、 忍草をこそ生すとも、 せめて忘草の種をたに 蒔せすもかなと也。 わすれ草、 思ふ心あれは こそ忘るゝ事もあれ、 深くおもふ心なくは何を わすれん。 されは、 我心に忘草を生すと其方へ きかは、 深く其方を思ふとしれと也。 こなたにも又、 世 忘草うふるときくならは、 さては此方を忘かたく 思ひてするそと知へしと也。 実澄曰、 忘草忍草は 一体二名也。 女の心短くいへるを、 業平は、 のどかによめる也。 返し、 わすれ草うふとたにきく物ならは思ひけりとはしりもしなまし