奈良女子大学学術情報センター
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ふじ日記 本文 付翻刻 行程表 行程図

このレポートは富士日記と共通です。

 不二日記に次のような個所がある。
 …高井戸鳥山国領石原、などいふ里々をも過ぎゆく。此間に賤児等むらがりつどひ、さきに対ひ立て、東語の習俗ながら、いみしう訛謬たる言語にて、あやしきこといひさわぎつゝ、道路邪魔につき来るは、銭を乞ふなりけり。それがいふ言。こゝろとゞめてよくきけば。ビッキョマァキヤレオンドウシヤ、となむいふめる。ビツキヨとは、銭の事をいへる東語なるべし。江戸わたりの方言に、ビタといふも全おなじ。マァ キヤ レは、
マキタベ
投て給にて。催促乞ふ語と聞ゆ。オンドウシヤは、富士参詣の同行者、といふ義なり。されど、大概はたゞ、ビツキヨと云ヒつゝぞ附来る。…府中の驛を過れば、…
 
 不二日記の著者在融は、附記などから、浄土宗三縁山増上寺の学僧であることがわかっている。増上寺は、現在の東京都港区に位置する。在融がもしここで幼少期から過ごしたとすれば、生っ粋の江戸っ子であり、自らそう意識していたであろう。
 高井戸、鳥山、国領、石原は、いずれも東京都内で(高井戸…杉並区、鳥山…世田谷区、国領…調布市、石原…調布市)、府中も現在の東京都府中市の事である。現代でこそ、話し言葉は東京弁と一くくりにされているが、しかし、当時では、この辺りはすでに江戸から一歩離れた「いみしう訛謬たる言語」に聞こえたことだろう。
 そこで、本文の記述から、方言の特徴を見てみる。
 
 「マァキヤレ」は、「投て給」(マキテタベ)のことだと筆者は説明している。このように拗音化しているのに特徴があり、筆者も「ビッキョ」と共に挙げているように、言葉が拗音化しているところに注目しているのが分かる。(「ヤ」は小さく表記されていないため、拗音化していたどうか確かめようもないが、「ビッキヨ」・「ビッキョ」と両方表記されていることから、「マァキヤレ」についても「マァキャレ」とも表記されうる。)
 拗音化する現象は、現在山梨県東部の一部地域に見られるという。その例は、omjaa(お前)・semjaa(狭い)・kjaaru(帰る)などである。カタカナだけでは正確に音韻をしめすことはできないが、もし推測するとすれば、「マァキヤレ」は、maakjareであり、この地域と同じ現象が見られる。
 また母音の長音化も同じくこの地域に見られるという。(heebi(蛇)・keemusi(毛虫))筆者がわざわざ「マァキヤレ」と横に小さく「ァ」を入れたのは、そこに特徴がありそれを示したかったからであろう。
 このように、山梨県東部の方言に似通う部分が多い。それに則して考えると、「投く」(マク)の命令形は、この地域では「マケ」であり、長音化を省いても「マキヤレ」にはならない。おそらく、筆者がいうように、「給」のような尊敬、もしくは丁寧の意味を持つ助動詞が下接したものと思われる。これが「給(タベ)」とは断定できない。「ヨル」「オル」など動作に附属して表現を柔らかくする例は他の地域でもあることだが、尊敬・丁寧の意味でのそうした言葉は、この地域では確認できなかった。このため、原形は何かわからないが、ら行活用の言葉が附属してそれが拗音化、母音の長音化したものと考えられる。
 
 「ビッキョ」は筆者は江戸ことばの「ビタ」に同じだと言っている。同じ言葉からきているかどうかは分からないが、山梨県地方では促音・撥音が多いと言われ、これもその例の一つであると言える。
 
 「オンドウシャ」については、「御道者」であろう。特に訛った部分も見られない。おそらく筆者の耳慣れない単語だったため、方言と判断したのだろう。
 
 筆者がどこでこの言葉を聞いたのか、正確に知ることができないので断定する事はできないが(富士までの道中に聞いた言葉であろうが、偶々ここに書かれただけで甲斐地方に入ってから聞いたことを記したかもしれない。)、もし本文通り高井戸から府中にいくまでの間にこの方言をきいたとしたら、この地方では拗音化、母音の長音化があったと考えることができる。
 
 富士日記にも甲斐国の民謡が書かれた個所があるが、そのうちの「田うゑ歌」には次のような表記が見られる。
田うゑ歌
 けふの田の太郎どのは、朝日さすまでかよふた、朝日はさゝばさせ、お帳臺はくらかれ、君が田とわが田はならびあぜならび、わが田へかゝれ君が田の水
 
 「かよふた」は、「かよつた」でないところから、「かようた」kjoutaと発音されていたと思われる。これは、山梨県西部に見られる西日本風の言い方である。山梨県は、大菩薩・御坂山系によって東西に分断され、それより東側は関東山地生活圏で、西側は甲府盆地で一つの閉ざされた生活圏を持っていた。その違いがここに見られる。
 
 以上のようにわずかではあるが、当時の民衆の話し言葉を知る手がかりが見られるのは貴重であると思う。漢字にふられているふりがなにも注目したらもっと多くの手がかりを得ることができるかもしれない。
 
参考資料
・全国方言資料第2巻関東・甲信越編(日本放送協会、昭和42年)
・講座方言学 中部地方の方言(国書刊行会、昭和58年)

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