れば、かぎりなくとをくもきにけ
   (玄遠くきけるにも思ひ佗たるに渡守無心に)
るかなとわびあへるに、わたしもり、はや
(て我所作をいそいそさま旅行の躰ひ表也)
船にのれ日も暮ぬといふにのりて渡らんとするに皆
人物わびしくて、京におもふ人なき
(へし)   (さやうの折ふしと也)
にしもあらず。さるおりしも、しろき
とりの、はしとあしとあかき、しぎの
おほきさなる、水のうへにあそび
つゝいをゝくふ。京には見えぬ鳥なれば
みる人見しらず。わたしもりにとひけ
れば、これなん都鳥といふをきゝて
 名にしおはゞいざことゝはんみやこどり
古今
 わがおもふ人はありやなしやと
* 此河をみしてはいよいよ
  古郷は遠くなるへしと
  おもへる心あり玄肖同義
  肖以下の詞どもいづれ
  も哀也。工夫すへし
 むれゐて思ひやれは
  むらがりゐて也玄同
  道の人など一所にあつ
  まりて、扨もはるはると
  きにける哉と侘給也
 さるおりしもしろき鳥
  都鳥は鴎といふ鳥也
  おほきさ鴫ほどなり
  師肖聞闕疑抄等には鴫
  のやうにてそれよりは大
  なる鳥と云々。今の世に
  都鳥とてあるも鴫よ
  りはおほき也。しかれとも
  廣き河のおもてにて
  鴫ほどに見えたる当分
  鴫の大さといふるへし*
         (おしなへてといふ心也)
とよめりけれは、舟こぞりてなきにけり
むかしおとこむさしの国までまどひ
ありきけり。さてそのくにゝある女
      (肖女の父は業平を過分に思ひてこと人)
をよばひけり。ちゝはこと人にあはせん
(にといへる也)
といひけるを、はゝなんあてなる人に
心付けたりける。ちゝはなを人にて
    (玄源平藤橘四姓の中にも藤原そ賞翫也師されは)
はゝなんふぢはらなりける。さてなん
よき人にあはせんと也
あてなる人にと思ひける。このむこ
がねによみてをこせたりける。す
* 猶口訳あり
 名にしおはゞいざこと歌
  清此鳥を問へば都鳥といへり。我古郷の名にて一入なつかしくおもへり。名にし
  おふことならば、都の事をとふべし。我とふ人はありやなしやとと。都といふ名を
  かこちてよめる也肖此歌は大なる河有といふより皆人物悲しくてといひ、さる
  折しも白き鳥といひし詞など心にこめて見侍べき也。限もなき餘情なるへし
  古玄御説同
 舟こぞりてなきにけり
  玄船中傍人の感涙
  也。こぞりては挙世と
  いふごとく、船中の
  人をゐをゐといふ心也
 あてなる人玄貴アテ又
  勝アテ師我むすめはよ
  き人にこそあはせめと也
 ちゝはなを人一直人也
  たゞ人といふ心也国いや
  しきをいふ
 このむこがね真の名智金
  玄むこの器量也源氏紅
  葉賀にも后がねとあり