十六
むかしきのありつねといふ人あり
けり。みよのみかどにつかふまつりて
             (師時移事去)
時にあひけれど、のちは世かはりとき
(長恨歌伝の詞也)(玄よのつねの人のごとくにもあらずをと)
うつりにければよのつねの人のごと
(ろへたる也)(紀有常のありさま也)
もあらず。人がらは心うつくしくあて
はかなる事をこのみて、ことびと
    (貧成て年へても猶昔時にあひよかりし時)
にもにず。まづしくへても、猶むかし
(の心をうしなはて也)(玄世勢などの事をもしらす)
よかりし時の心ながら、よのつねめる
となり惟肖同
もしらず。としころあひなれたる
妻也
め、やうやうとこはなれて、つゐに
* くて、すでにまみえてはゆかしけさむる事世にある事也。又一説にさるさ
  がなきといふより女の用心也。女わが心をかへりみれば、さがなきあづま妻の
  奥ふかき心もなき物を、それを男の見ては如何せんとおもふ也。せんはのは
  は助字也
 きのありつね
  一紀有常は正四位下
  名虎が男也玄同
 みよのみかどにつかふまへり
  玄三代の御門、淳和仁明
  文徳の時にあひけれ
  ど。文注第一の皇子惟
  高親王をまうけ奉る
  は名虎がむすめ也。此御子
  御位につかせ給ふならば、
          (四か)
  有常はさうへんを第二
  の皇子清和の御位に
  つかせ給ひしかば名虎方
  のものはをとろへたる也
  愚案三代実録曰清和*
     (誰ともなし玄有常か妻の姉也)
あまになりて、あねのさきたちて
           (有常也)
なりたるところへゆくを、おとこまこと
しるしくおもふ心もなき也
にむつましきことこそなかりけれ。いまは
とゆくをいとあはれとおもひけれど
     (一物などもえとらせぬなり)
まづしければするわざもなかりけれ
* 天皇諱惟仁文徳天
  皇第四子也。母大皇太
  后藤原氏。大政大臣
  良房忠仁公之女也。嘉
  祥三年三月廿五日生
  同十一月立皇太子。先
  是有謡云。大枝乎
  超天。走超天。騰躍上
  那加「 」超天。我那護毛留田仁那。捜阿「 」「 」食無志岐那。雄雄伊志岐那。識者
                                  (文徳也)
  以為大枝謂大兄也。超三兄而立。故有此三超之謡「 」略記江談二日天安皇帝
  有譲実位干惟高親王之志。大政大臣忠仁公惣攝天下政為第一臣。憚思不出自口
  之間漸経数月云或祈請神祗又修秘法祈仏力。真済僧正者為小野親王祈
  師真雅僧都者為東宮護持僧云々。これを世に位あらそひといへり
 あてはかなる事を玄貴富風流にけたかき心也有常の性をほめたる詞也
 こと人にもなす玄よのつねの人はまづしふしてはへつらひ富てはおごるを此人はさも
  なき也論語に子貢曰貧而無諂富無驕何如子曰可也
 やうやうとこはなれて肖常の字也又は床なり玄夫婦は身の一期そふべきに別るゝは
  常をはなるゝ儀也一をのが妻もやうやうおなじ床にはいねど、夜がるゝを床はなると*