(師べしとおなし) いでゝいなばかぎりなるべみともしけち としへぬるかとなくこゑをきけ かのいたる返し いとあはれなくぞきこゆるともしけち きゆるものとも我はしらずな あめのしたのいろごのみのうたにては (師至かやうに陳じよめれども猶ゝ色このみのうた也と也) 猶ぞありける いたるはしたがふがおほぢなり。みこの ほいなし * 見ゆべきとて蛍を取 かくさんとする也 いでゝいなばかぎり玄いま 崇子内親王を葬り 奉るが鳥辺野へ出給 はゞ、是がかきりにてまし ますべし。ともしけち とは肖今蛍をけす事 を命の消るにたとへ よむ也玄ともしけちとは 如烟盡灯滅の心なり。 命の消るをいへり。年 へぬるかとは此宮は年へ 給へるにもあらず。若く して世をさり給ふ。世間 の無常はかゝるもの也と皆人のながくこゑをきけと也。至を死しめ たる儀也師法華経序品云仏此夜滅度。如薪盡火滅其外あまたある文也 いとあはれはくぞ玄業平の歌のなくこゑをきけといふにこたへて、よことに 哀になくこゑのきこゆるといひて、さりなから我は真実の寂滅とは見す 一切衆生生する時は法界の五大をかりて来り。死する時は五大を返すなり。 是即非真滅の心也。我は常住不滅の儀也師是至業平に死しめられて当* 四十 むかしわかきおとこげしうはあらぬ女 (肖業平の事也此女の家に来通也。) をおもひけり。さかしらするおやあり (女の此男におもひやつけんとて也) て、思ひもぞつくとて此女をほかへ をひやらんとす。さこそいへまだをひ (惟業平を云若き男の事也親任なれはと也) やらす。人のこなればまた心いきをひ * 意にのべたる返歌也。法界の五大は地水火風空人にとりては木火土金水 の五行即五臓也。是即非真滅は法華経に我雖説涅盤是則非真滅これ 也。常住不滅の儀は、涅槃経云実不畢竟涅槃是故当知是常住法。不変改 法云々。これ也猶多 あめのしたのいろこのみの玄愁にかき所にて如此いふは大きに好色の人といふ儀也 いたるはしたがふがおほぢ一源順は従五位上能登守までなれり。梨壷の五人の問也 玄これ一の不審也至は順がおほぢ勿論也。順は延喜の時分よりありて天暦の 頃まで有し也。かやうにはるかのちの順が事を此物がたりにのする事如何。 若後人のかく歟。至が系図をいはんとて書なるべし師至挙順これ也 みこのほいなし玄色ごのみのうたにては猶ぞありけつといふ下へみこのほい なしとつゞけて見るべきか。ほいなしとは彼歌道理はよくいひたてたれども、 内親王のためには愁嘆の心もなきを本意なしといふなるへし けしうはあらぬ 玄下すしそゝあらぬ也 我はにこりてよむべき 歟源氏にはすみてよ めり師すみてよめば 慥しそはあらぬ。あやし からぬもいやしからぬ心也 さかしら万賢良かしこ だてしてさまたぐ*