て居給へりけるを、 かたちのいとめてたくおはしけれは、 
ぬすみておひていてたりけるを、 御せうと堀川のおとゝ、 太
郎国経の大納言、 また下らうにて内へ参り給ふに、 いみし
うなく人あるをきゝつけて、 とゝめて取返し給ふてけり。 
それをかくおにとは云なりけり。 またいとわかうて后のたゝに
おはしける時とや。 
    是は作者の詞也。 二条の后のいとこ染殿の后なり。 
    つかはれ給ふやうにしておはします体也。 二条の后
    勘カン云〈ク〉、 高子、 慶元年正月即位の日立為中宮。 
   ○御せうと堀川大臣は、 二男也。 則照宣公の事也。 
    皆后の兄也。 本は国経兄也。 され共、 官あさきによ

    り、 弟を大郎と云。 叔父の忠仁公良房の養子なれは、 官大也。 
   ○下らう、 雲客カクの時也。 殿上人の事也。 
   ○いとわかう、 作者の、 后をいたわりて云也。 二条后、 卅六。 
七
むかし、 おとこありけり。 京にありわひて、 あつまにいきけるに、 
伊勢、 尾張のあはひの海つらをゆくに、 波のいとしろくた
つを見て、 
    業平の左遷の事、 沙汰有事なれは、 其時か。 又たゝも行
  たる。 肖聞、 業平流罪の時の事也。 当流説、 東国下向
    の分也。 愚見には、 京にて人を恋わひて友をさそひ
    行也。 好色の余に、 出家遁世なとの体にて下りたると也。 
   ○海つら 東海道の海のきわ也。 海のほとり也。 海辺ツラ也。