年已後の事也。 業平一期の事を書には、 いかゝと
  いふ義あり。 七条后へ、 業ひらの一期の事をいせか
  書たる次に、 在原氏の事なるゆへに、 伊勢か書くはふる
  なるへし。 定家卿奥書の本に、 仁和聖日之間、 粗
  臨幸の儀と有は、 此所の事なるへし。 狩衣の袂に
  書付たる、 同しさま也。 行平、 仁和二年十二月十四日。 
  芹河の行幸は、 嵯峨の天皇の行幸か始也。 
  今此行幸は、 光孝也。

翁さひ  此おきなさひは、 只翁といふ心なれとも、 爰にて
  は老の幸の心もありし。 老て、 わかひたる心なり。 
  此わかやく出たちをするは、 四代中絶の行幸なれは、 
  満足して出立也。 去程に、 人なとかめそ、 けふ斗こそ
  鷹飼もすへれといふ也。 
御けしき  帝の、 御心にかけ給ふ也。 行平は六十にあまり、 
  七十におよひたるゆへに、 我身の上を読たれとも、 
  光孝天皇も、 此時五十七歳斗にておはします