学術情報センター
 所蔵資料電子画像集 

雑誌 「學 習 研 究」

 

「学習研究」について 
 「インターネット上での画像原文データベース」公開に寄せて

         奈良女子大学文学部附属小学校校長 小田切毅一

 

 「学習研究」は、奈良女子大学文学部附属小学校が一貫して主張し、長年にわたり実践し研鑽し続けてきた学習法を、世の教師たちに問いかける教育情報誌である。内容的には、本校の教育実践を特徴づける学習の原理や理論のみならず、それらを裏付ける学習指導や学級経営などにかかわって、実際に展開された実践記録が豊富に盛り込まれている。
 この「学習研究」の創刊は大正11年4月と古く、奈良女子大学の前身である奈良女高師時代の附属学校期にまで遡る。折しも当時は、子どもを学習の主体とした自発性・自律性に基づく総合的な合科学習が、木下竹次(大正8年着任)によって構想されて間もなくの頃であった。
 「創刊の辞」に記された次の一節は、その後の「学習研究」の使命を暗示させ方向づける、まさに第一歩を示すものである。

   「学習即ち生活であり、生活即ち学習となる。

    日常一切の生活、自律して学習する処、私共はここに立つ。

      他律的に没人間的に方便化せられた教師本位の教育から脱して、

      如何に学習すべきか、如何にして人たり人たらしめ得るか、

      そのよき指導こそ教師の使命である。...... 」
 学習法にかかわるこうした熱き思いは、以来多くの有能な先輩訓導たちの課題意識となってきた。その教育理念は、今日に至るまで、脈々と引き継がれてきている。それ故に戦前戦後を通じて、「奈良は新教育のメッカである」ともいわれてきたのである。

*  *  *

 大正11年に創刊された本誌は、しかしながら不幸にも国民学校期に至って、国からの教育雑誌への統制を受けるようになったことによって、昭和16年3月には休刊せざるを得なかった。「学習研究」はその時までに、すでに20年にわたり通巻で20巻、通号で231号を数えていた。(この間の「学習研究」については、すでに昭和52年に臨川書店による完全復刻がなされている。)
 一度休刊のやむなきに至った本誌が、その後復刊したのは、第二次世界大戦後の昭和21年7月のことである。このたび奈良女子大学附属図書館で公開するインターネット上での「画像原文データベース 學習研究」は、まさにこの昭和21年7月に復刊された第1号から、第53号に及ぶ部分を公開するものである。
 復刊した本誌の「巻頭言」ではその喜びと意気込みを、次のように伝えている。「・・・今や新教育の黎明期を迎え、ここに再び本誌を世に送り得ることは、同志諸君と共に限りなき感激を覚える次第である。再刊とはいえ、決して単に過去に於ける本誌の続刊ではない。・・・全く新しい民主的日本が誕生せんとする現在、本誌も亦その名は同じく『学習研究』ではあるが、その使命は全く新たな性格をもって出発せねばならぬ。・・・単に我等同人の発表機関たるに止まらず、熱意ある革新教育家諸君の協力を期待し、以て洋々たる新日本教育創造の重大使命を遂行したいと念願している。」
 折しも当時は、重松鷹泰主事(昭和22年12月着任)のもとで、既存の教科カリキュラムの枠組みにとらわれない「しごと」「けいこ」「なかよし」からなる、新たな生活カリキュラムに基づいた「奈良プラン」を樹立しはじめた時期でもあった。当時の新しい学校建設に向けての理念構築の取り組みや、それらを実験し吟味しようとする精力的な実践が、たとえば「わが校教育の建設の記録」(「第28号、昭和二十四年)の特集などを見ても明らかなように、この時期の「学習研究」の内容を特徴づけ、実りあるものにさせている。まさに今日に及ぶ「学習法」の、戦後の歩みの「礎」が築かれた時期であった。

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 ところで戦後における「学習研究」は、経理・運営という面からみると、様々な困難に当面してきた。当校が新制の奈良女子大学文学部附属となってからは、発行部数は「低下の一途」をたどることになり、採算がとれず行き詰まったと述懐されている。昭和33年12月の第136号から、自校による自費出版となり、発行回数も月刊から隔月刊に変化したことは、こうした事態の打開をねらった英断でもあった。
 「・・・一名の誌友でも増加するようにお力添えをお願いします。なお、この雑誌は、実践家のものとして、各地の現場に息が通い、交流の広場となるように育てたいと念願していますので、きびしい批判や御希望、問題提供、実践報告、各地の教育事情などを多数お寄せくださいますようお願い申しあげます。」
 「学習研究」が自費出版となった折りに、共同研究校や支持会員の制度が設けられたが、こうした制度は昭和35年以降に、研究集会の開催を実現させることにもなった。また昭和40年には、本校が現在の学園前に移転することになったが、この頃には、教育における環境の新設に努力するとともに、本校の長い伝統によって打ち立てられてきた「学習法」を一層充実拡大させて、この時期に子どもの創造性を開発する「創造的学習の研究」が重視されるなどした。「学習研究」の戦後史は、このような本校の研究・教育実践への取り組み経緯と、密接に重なり合いながら今日に至っているのである。
 「学習研究」は、本校の教育実践に理解と関心を示す、多数の「誌友」の方々に支えられる情報誌となって今日に至っている。復刊に際して、かって今井鑑三も指摘したように、本誌は「同志的結合」の場であると同時に、共有すべき研究発表などへの「共励の場」として、一層自覚されるものになってきているのである。
「学習研究」は、すでに現在までに、370余号を数えるに至っている。本校の教育実践とその学習法に興味と関心をお持ちの方であれば、誰でもがこの雑誌の「誌友」となれる。お問い合わせは、奈良女子大学文学部附属小学校まで。

    平成10年3月1日