動かざる歴史




 私が西洋近現代史を専攻していることもあり、私の専門と奈良との関係は皆無に近い。したがって、私と奈良との最初の関わりは、世間一般によくあるように観光ツアーである。中1の夏休みに、兄とともに岐阜県から電車を乗り継いで、1日観光のバスツアーをして東大寺や薬師寺などを回った。当時、薬師寺の西塔はまだ再建されておらず、西塔跡地の水たまりに映る夕陽を浴びた東塔の美しさに、「凍れる音楽」を聞いた気がしたことを思い出す。

 また、バスガイドの名前も鮮明に記憶している。美女であったという理由からだけではない。公門(きみかど)という名で、いかにも古都奈良にふさわしい、貴族の末裔のような感じがしたから印象深かったのだろう。帰路、足に心地よい疲れを感じつつ、国鉄奈良線の車窓から見た夕陽が生駒山に沈む光景も脳裏に刻まれている。これが、私の奈良体験である。

 それから、40年ほどの歳月が経ち、私も奈良県民となった。奈良に赴任したとき、40年前とほとんど変わらない風景に安堵したものである。この春巣立った卒業生から聞いた話だが、同じく本学の卒業生である母親も、学生時代と少しも変わらぬ奈良の風情に感激しきりであったという。

 たしかに、近鉄奈良駅前のたたずまいも、その基本形は昔のままだろう。それは、奈良が化石となって、近代の価値である「発展」や「都市化」から取り残されたということではない。向上することも堕落することも含めて、変わることは容易である。20代の体型を維持するのがむずかしいように、むずかしいのは変わらないこと、保存すること、持続することだろう。歴史においても然りである。

 歴史の本質は変化であると言われるが、それは一面の真理でしかない。正しくは、歴史の本質は、変化と持続の2つである。変化が常態となった産業社会とポスト産業社会にあって、「持続」こそが、新たな価値とならねばならない。折しも、「持続可能な発展」が叫ばれている昨今である。20世紀の最後の四半世紀に、社会史パラダイムは、「長期持続」や「動かざる歴史」を標榜して歴史学を制覇したが、平城京遷都1300年祭を間近にした奈良は、「動かざる歴史」の典型である。その意味でも、奈良は、「古いものが実は新しい」という好個の事例となることだろう。

 大江健三郎は、かつて、われわれは何を記憶し、記憶し続けるべきかという問いを発して、「持続する志」を提唱した。本学の「なら学講座」も、このような志を持って、「長期持続」を分析する拠点として発展してほしいものである。


  (渡辺和行 わたなべ・かずゆき    フランス現代史)