映画の中の奈良
高校生の頃からジャズ喫茶(今では絶滅してしまったが)に入り浸っていた私にとって、映画はジャズと一体化したものであった。特に、ルイ・マル監督のジャンヌ・モローとモーリス・ロネ主演の『死刑台のエレベーター』は最も好きな映画である。不倫相手のモーリス・ロネがエレベーターに閉じ込められている間、彼の姿を求めて夜の街をさまよい歩くジャンヌ・モロー扮するカララ夫人。彼女の心のヒダを一枚一枚めくるような、マイルス・デイビスのトランペットは実に切なく、揺れ動く女心を余すところなく表現している。マイルスは映画の画面を観ながらその場で音楽をふきこんでいったのである。まさに天才である。ラストーンも秀逸で、不倫相手の腕に抱かれるカララ夫人の姿が、薄暗い暗室の現像液のパットのなかから浮かび上がってくる様はめまいがするほどである。
フランス映画に登場するパリの街並みは、田舎育ちの私にとっては実に美しく、ジャンポール・ベルモント等の個性的な俳優の演技もあいまって、何か怪し気な、けれども甘美な香りが漂うように思えた。その後、何度かパリを訪れる機会があり、サンマルタン運河やクルニヤンクール、カルチェラタン等今でも殆ど変わることのない映画の中の街並を堪能することができた。なかでも、ビアイエケム橋から見る夜のエツフェル塔は忘れられられない光景である。
映画の中の街並みで、特に印象深いのが3年前まで住んでいた横浜である。横浜の黄金町を舞台にした林海象(現:京都造形大学教授)監督の三部作『我が人生最悪の時』、『遥な時代の階段を』、『罠』も秀逸である。主演の永瀬正敏扮する浜マイクの演技も素晴しいが、京浜急行のガード下と不法係留がひしめく大岡川を舞台にした探偵者からは、港町の繁華街特有の毒気がにじみ出て来るのである。なによりも、私自身が何年も黄金町を車窓から見おろしながら通勤したことが、この映画に対する強烈な思い入れになっているのかもしれない。
映画の中の街というと、奈良女の地元の奈良を舞台にした映画、河瀬直美監督の『ほたる』は映像美の極致である。国際的な評価は高かったが、興業的には成功と言えず、短期間で打ち切られてしまったことが残念である。舞台は、奈良町の私のよく行く沖縄料理屋『喜納』(2007年3月末惜しまれつつ閉店)の隣のスターミュージックというストリップ劇場である。夏の地蔵盆に、元興寺の万燈供養に行くと、油煙にかすむ灯明のチロチロとした光の渦の中で、この映画のことが思い起こされる。
横浜の次は奈良。'映画の舞台となってる街で日々を過ごしていることを私は嬉しく思う。
武藤康弘 (むとう・やすひろ 映像人類学)
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