奈良という事件 沖 真治氏(朝日新聞奈良総局:当時) |
沖と申します。私は新聞記者をやっていまして、少し現役の盛りは過ぎ定年を間近に控えています。昭和60年(1985)にたまたま奈良に着任しまして、以来19年、奈良に住んでおります。そのあともいくつか転勤がありましたけれども住まいはずっと奈良です。私は東京育ちで、先だって中学と高校の同窓会がありまして行ってまいりました。「奈良を終の棲家にするのだ」という話をしていたら友だちにずいぶん羨ましがられました。ところが先ほど打合せで小路田先生などと話をしていたら、小路田先生から「なぜ沖さんは20年近く奈良に住んでいるのですか」といわれまして、なぜそんな質問をされるのかと思ったのですけれども。東京からすると奈良というのは大変羨ましいところで、先月東京の人間には羨ましがられたのが、こちらのほうの人からは東京の人間がなぜこんなところに20年も住んでいるのかと逆に不思議に思われたのは、東京の人間にとっては不思議でした。 そのような具合で奈良にすっかり住みついているのですけれども、私に与えられた演題は小路田先生からなのですけれども、発掘を担当して20年。発掘というと事件という印象が先生にはおありになって、このようなひねった題になったと思うのですけれども。実際に「発掘というのは事件だ。奈良はこわいよ」というのが、私が文化財担当になったときに先輩から申し送られた言葉でした。 と申しますのは奈良というのは、ならにお住いの方は皆さんよくおわかりだと思いますが、いつ何時、何が出てくるかわからないという土地柄です。あの極彩色の壁画の高松塚古墳が発掘されましたのも、普通の古墳のつもりで発掘していたらあのようなすごい壁画が出てきたわけです。あるいは奈良の此瀬で太安万侶の墓誌が見つかったときも、あれは茶畑を耕していた農家の方が鍬を入れたときに見つけたのが太安万侶の墓誌であったわけです。そのように奈良というのはいつ何時、どんなものが出てくるのかわからない。そのような突発性というのはまさにわれわれの感覚では事件なので、それで発掘は事件ではないかと言っているわけです。 例えば最近では、高松塚古墳の石室にカビが生えて白虎の壁画が消えかかっているという問題が起きました。これなども大変な関心を呼んだわけですけれども、三十何年間、大切に非公開で守られてきた飛鳥美人の壁画が、なぜ消えかかっているのかという非常に素朴な疑問が読者の関心を呼んで大変大きな、まさに事件的な扱いを受けるわけです。書いているほうからいうと法隆寺のニュースなどもそうなのですが、なぜ新聞のトップになるのか、もう少し一面トップというのは政治・経済とか、それこそ人の生命、財産に関わる事件とかが載るもので、それを満たさないようなものが一面トップにいくのかなという思いがあるのですけれども。ニュースの価値を判断する人にとってはああいうものが一面トップになる。それだけ人々の関心を呼ぶのかなと逆に教えられるといいますか、書いているほうが驚いたということが多々あるわけです。 そのように文化財ニュースというのはこちらが予想する以上に人々の関心を引きつけるわけですけれども、それはどうしてなのかとときどき思うのですが、一つは同時進行性という問題があるなということを考えました。先ほどの高松塚のカビの話がそうですけれども、現在高松塚古墳ではカビが発生していて、壁画が消えつつあるというような同時進行的な事件と同じなのかなと思うのですけれども、そういうなかでいちばん典型的なものは斑鳩町の藤ノ木古墳、ご記憶にある方も多いと思いますけれども藤ノ木古墳の発掘がございました。 藤ノ木古墳は6世紀後半の法隆寺のすぐ横にある古墳ですけれども、あの古墳が話題になりましたのは石棺が未盗掘だった、誰も開けていなかったということだったのです。前に誰も開けていなかったから、石棺を開ける前にファイバースコープを入れて調べてみようということになりました。事前に中の状態を知っておくと調査しやすいですから、それで小さな穴を開けてファイバースコープという胃カメラのようなものを中に挿入して事前に調べました。そのときにわれわれマスコミ各社は調査している橿原考古学研究所に、映像を同時に提供してほしいという申入れをしました。ファイバースコープを入れてそれで中を撮影する映像、電子情報を調査者が見るわけですけれども、それをオープンにして映像をテレビや新聞のほうにも流してほしいという要求をしましたら、橿原考古学研究所では快く応じてくださいました。 ファイバースコープに映ったのは非常に神秘的で興味深い画面でした。非常に驚いたことに石館の中に水が深さ10センチぐらい溜まっておりまして、中に何かがぷかぷか浮いていたのです。ファイバースコープというのは魚眼レンズのように広角レンズですので手前のものが極端にクローズアップされて、デフォルメされて映るわけです。ですから何が映っているのかが、はっきりしません。後で蓋を開けてみて冠とか太刀とかがわかったのですが、最初は何が映っているのかわからなかったのです。水の反射が真珠に見えたりしまして「真珠が撒かれていた」という誤報も出ました。ずいぶん誤報が多くて恥をかいたわけですけれどもそういうことがありました。 そのように発掘調査をしている人が見ているのと同時に同じ映像が新聞社にも放送局にも流れて、それがその日の夜にお茶の間にテレビを通して流れました。調査経過がすべて公開されてお茶の間に流れたという、非常に画期的な発掘だったと思っております。あとでずいぶん誤報とわかったことが多かったのですけれども、いろいろな想像をかき立てて大きく報じられました。そういうことで大変興味を引きつけまして藤ノ木古墳は一気に有名になったわけです。中を開けてみるとたしかにいろいろ貴重な副葬品があって、それで藤ノ木古墳が有名になったわけですけれども、あのファイバースコープによる調査の同時中継というのが藤ノ木古墳をいちばん有名にした要因ではなかったかなと思っております。 しかし、このような調査は極めて異例でして、他の研究者から強い批判がありました。学術調査であってショーではないとか、衆人環視の下では落ち着いて調査できないとか、学問調査はああいう環境ではできないというような批判でした。これはもっともな批判であるとは思います。しかし、これは橿原考古学研究所が映像の同時公開に同意した理由でもあるのですけれども、公開調査の下では調査者は勝手なことはできません。密室のなかではいろいろ勝手なことができるかもしれない。極端なことをいえば捏造もできるわけです。ところが公開調査にすれば捏造はできません。だいぶあとになりますけれども、例の旧石器捏造事件が起きました。あのようなことは絶対に起きようがないわけです。橿原考古学研究所のあのときの判断は高く評価されていいと思っているのです。 この藤ノ木古墳の調査が最近のキトラ古墳の調査にも影響を与えて、藤ノ木古墳ほどではありませんけれども同時進行的に調査経過が公表されました。それによって、また一般の人たちの関心を呼ぶというような経過をたどっているのではないかと思っております。 キトラ古墳も盗掘孔からファイバ−スコープを入れて壁画を見つけまして、それから超小型カメラを入れたり、あるいはデジタルカメラを入れたりと撮影機器の発達とともに、発見から20年ぐらいでより進化した先端機器で発掘したという形になっているわけです。普通でしたら発見したらすぐ発掘します。ところが文化庁は高松塚古墳で壁画の保存に大変お金がかかるのにこりて発掘しないで様子を見て先送りしていて、結局最後になってにっちもさっちもいかなくなって、このままでは壁画が崩落してしまうというので今日の事態になったわけです。 デジタルカメラを入れた調査で中の様子がわかったわけですけれども、ちょうど天井の天文図が撮影されたときです。これも藤ノ木と同じように同時進行でした。「飛鳥のプラネタリウム」とか「世界最古の天文図」とかそういう見出しで新聞が報じたわけです。あのときもまったく予想外だったことで、高松塚のように直線的な天文図があるのかと思っていたのですが、まさかあのような同心円状の天文図が出てくるとは誰も予想していませんでした。それがテレビで映りまして、日本で中国の天文学を研究している人たまたまテレビを見ていて「これは新聞社からコメントを求めに来るな」と思ったそうです。すると案の定、間もなく電話がかかってきたという話をしておりましたけれども、それだけすごい同時性だったわけです。 このような調査における同時進行性というのが奈良の発掘、あるいは発掘行動を支えているのではないかと思っております。 今日、現地説明会が行われておりますが、法隆寺の若草伽藍跡から壁画が発掘されたのは9月末です。出土から発表まで2カ月ほどかかっています。藤ノ木古墳、あるいはキトラ古墳のような同時というのはもちろん稀な、例外的な例ではあるのですけれども、普通は調査をして、ある程度期間をおいてそれから発表という形になるわけです。これは今日の本題から外れますので、法隆寺の例はあまり述べませんけれども、繰り返しになりますが奈良の発掘を支えていることでいちばん意義深いのは、国民が調査者と調査経過を同時進行的に知るということ、それが奈良の発掘の非常に大きな特徴ではないかと思います。そういうところであれば捏造事件というのはあり得ないと思っております。 例の捏造事件が起きたあとのあるシンポジウムで発言を求められて、奈良ではああいう捏造事件はあり得ない、奈良の新聞記者なら3回ぐらい騙されても4回目は絶対に騙されないといって発言したことがあります。実際に仙台の新聞記者はよく何年も騙され続けたなというのが正直な感想です。奈良の調査機関は、調査の経過と報道との関係を大切にする。記者は調査現場の取材を大切にするということについてはある程度自信をもっているつもりです。 考古学の発掘は人々の興味を喚起するという点で事件的な要素をもっているわけです。もちろん考古学上の新発見や新知見というのが有益なのは、歴史に新たな資料を加えるということです。歴史というのは過ぎ去った過去の総体であって変えることはできないと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。「過去の知識は進歩する。絶えず変化し、改良されるものだ」というある歴史家の言葉が私の好きな言葉であるのですけれども、歴史の資料が増えることによって過去の歴史像も変化していく。新たな歴史像をつくるということを思っております。そのような新たな歴史像をつくる学術知識の情報発信地というところに奈良があるのではないかと思います。 情報発信には何よりも情報の公開性、今日のテーマの言葉で少しいえば、いい意味での事件性が大切であって、マスコミの果たす責任は大きいと考えています。つたない発表ですけれども、ここで私の話は終わります。 ●司会 ありがとうございます。予定では休憩ということになっているのですが、少し時間が早いので簡単な質疑をしてから休憩に入りたいと思います。 今のお話で、いわゆる考古学の発見ということが単なる発見にとどまらずにある事件性を帯びてくる場所である。ですから逆に沖さんが活躍される舞台にもなっているのだろうと思うのですけれども、それもまた現在の奈良を考えるときに重要な要素ではないかと思います。 |
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