なら学談話会 「率川(いさがわ)の記憶と記録をもとめて」 2006年12月20日 14時、於 本学生活環境学部中会議室 報告者:帯谷博明氏(環境社会学) |
1.はじめに なぜ率川をとりあげるのか? @研究対象としての率川 A教育(授業)におけるフィールドとしての率川 B地域社会との連携・共同プロジェクトの素材としての率川(?) →なら学との関係を意識して 2.率川(菩提川)とは →御蓋山(みかさやま)を源流とする川であり、奈良公園・鷺池・荒池を経て、猿沢池の南東端で地表に。池の外周部を経て西端から再び暗渠化。奈良町・やすらぎの道を横切って西へと流れる。JR奈良駅周辺の再開発事業のため、再び地表に現れるのはJR大和路線の西側。旧市街地のわずか2km強に限っても、区間によって管理主体は市河川課、下水道管理課、県河川課と多岐に渡る。 →吉城川や尾花(谷)川をはじめ、旧市街地には暗渠化されたかつての河川がいくつも流れている(地名にも、「小川町」や「細川町」、「鳴川町」などがある)。農業水利や生活用水など、脈々と人の手が加えられてきた川。 →現在は猿沢池周辺部の数百メートルを除き、流路の大半が暗渠化(=下水道化)され、一見したところ、社会から忘れられた存在になっている。 →とはいえ、年配の住民を中心に、川に対する記憶は驚くほど鮮明で数多く残っている(むしろ、語る機会を求めているようにさえ思える)。にもかかわらず、一部の郷土史家や愛好家、写真家を除いて、これまでほとんど注目されてこなかった。 行政関係者も住民も、率川に関する情報や記憶を有しているのに、それらは拡散し、関係する資料もまとまっていない状況。“何か”できないか? ⇒まずは、率川(いさがわ)をめぐる人びとの記憶と記録を発掘・収集し整理する。 3.研究対象としての率川 どのような調査研究テーマが考えられるか? まち(ならまち)の変容および率川の形態変化 住民の記憶の中の率川 →河川空間が果たす役割、暗渠化がもたらす影響、親柱(欄干)のもつ意味 親水公園化をめぐる行政と住民の相互作用、認識のズレ などなど 4.授業(地域環境学実習U)における学生主体のフィールドワーク 4.1 目的 ・地域におけるキーパーソン探し ・住民に対する聞き取り →川との関わり(記憶の中の率川)、当時の生活、暗渠化、残された親柱への思いなど ・資料(記録)の収集 →率川に関する写真や絵地図などの映像メディア、行政資料、その他の文書記録 など 4.2 方法(進め方) →全員でのまち歩きのあと、3〜4名のグループごとに担当エリアをさらにまち歩き。暫定的なテーマを決め、フィールドワーク実施(おもに授業時間外に)。フィールドノートの作成作業。 4.3 これまでの成果
4.4 今後の課題 「証言」や「資料」集めの段階。 これを本格的な調査にどのように発展させていくか?(次年度の実習でも継続予定) →例:かつての川の写真にもとづいた「資料提示型インタビュー」(嘉田 1997)、住民有志と大学との連携による「聞き書き集」的なもの、など 以 上 |