(企画詳細はタイトルをクリックでご覧頂けます)


【第1日(9/29) 13:00〜15:00】

1)研究行為における「歴史」と「因果性」について考える (N301)

2)失うことと生きること ―― 喪失、障害、不妊の語り (N303)

3)あなたは当事者ではない―<当事者>をめぐる質的心理学研究
 (S218)



【第1日(9/29) 15:15〜17:15】

4)「展示」のナラティブ的理解――展示利用者による多様な解釈を創り出す
 (N202)


5)心理学研究のメタ心理学 ―― 暗黙の質的フレームに迫る (N303)


【第2日目(9/30) 9:20〜11:20】

6)ALS患者と共に考えるコミュニケーションの質 (N202)

7)質的研究と量的研究の“接点”と“相容れない点”を探る
  ――学習、教育研究者からの試み (N301)


8)臨床看護におけるナラティヴ:現場における時間性と生の現実
 (N303)




【第2日(9/3) 12:30〜14:30】

9)保育の場におけるビデオの目 (N301)

10)質的研究では「事実」をどのように考えるのか (N303)













1)研究行為における「歴史」と「因果性」について考える

企   画: 松本光太郎(名古屋大学)
企画・司会: 荒川 歩(名古屋大学)
話題提供:  安田裕子(京都大学)
        松本光太郎(名古屋大学)
指定討論:  麻生 武(奈良女子大学)
        松島恵介(龍谷大学)*
        大倉得史(九州国際大学)
企画趣旨:
 本企画では,「歴史」と「因果性」について考えてみたい。研究行為において,因果性を問うことは当然のように価値づけられている。例えば,「過去の〜という出来事」が「今・ここでの〜という行為」を引き起こしている,といったように。過去の歴史という実在と,今・ここで生成する行為や体験を因果的に結びつけるのである。この理解は一般的ではあるが,問題をはらんでいるように思える。一つに,過去〜現在という時間の側面を対象化している点である。僕らの生活において事後的に過去の出来事を意味づけることはあるが,その意味づけさえも,今・ここでの行為や体験の内部で生成したことであろう。対象化および操作可能であることは前提に出来ない。二つに,過去の歴史を実在として固定している点である。僕らの生活において生成する行為や体験は,唐突に何の兆候もなく生まれることではなく,事後的に振り返ってみれば潜在的であったその軌跡が読み取れることから,歴史的な事象であることは間違いない。また,僕ら研究者がその事象に気づき注目すること自体,歴史的に限定されてきた産物であると言えるだろう。歴史は実在ではなく,むしろ今・ここで生成する行為や体験に混じりこんでいるものではないか。以上のようなことを本企画では議論する。



2)失うことと生きること ―― 喪失、障害、不妊の語り

企画・司会: やまだようこ(京都大学大学院教育学研究科)
話題提供:  川島大輔(国立精神神経センター)
          意味再構成の困難――自殺による死別が遺すもの

        田垣正晋(大阪府立大学)
          障害者心理の研究における「生涯発達」の意義

        竹家一美(京都大学)
          人生における不妊経験の意味――期待と失望を経て生成されたもの

        山崎浩司(東京大学)
          絶対的喪失による生き直しの物語――マンガ『イキガミ』を題材に

指定討論:  やまだようこ(京都大学大学院教育学研究科)
企画趣旨:
 人生において人はさまざまなものを失う。死は、その頂点にあるといってよいが、日々を生きること自体が、もう返ってこない時間、もう戻らない記憶を喪失しつづけている。人間は多くの記録機器を発明してきたが、人類の歴史は喪失と闘ってきた軌跡だといってよいほどである。
 しかし、失うことにはポジティヴな意味もある。「こんなはずではなかった」という苦い思いに浸される体験こそ、新たな生成と発達を育んでいくと考えられるからである。特に、障害、病い、不妊、失職、失敗、挫折など、自分にとって決定的に重大な負のライフイベントに出会ったときには、人生の意味を再構成し、新しい物語を紡ぎ出す必要に迫られる。本シンポでは、自分がイメージしていた人生、かつて思い描いていた人生と異なる現実に出会う体験に焦点をあて、失ったものの意味を再構成し、人生物語を変容させていくプロセスを「ナラティヴ(語り)」をもとに考えてみたい。





3)あなたは当事者ではない―<当事者>をめぐる質的心理学研究

企   画: 宮内 洋(高崎健康福祉大学短期大学部)
話題提供: 高橋 都(東京大学大学院)
        川野健治(精神保健研究所)
        菅野幸恵(青山学院女子短期大学)
指定討論: 無藤 隆(白梅学園大学)
        好井裕明(筑波大学大学院)
企画趣旨:
 心理学研究においては、研究者自身が当該問題の〈当事者〉であるというケースがある。この場合、研究者自身が対象者と同様の経験を共有しているためにラポールが容易なのではないか、あるいは対象者をより深く理解できるのではないかと日常的な感覚で安易に考えられがちである。
 しかし、現実はそれほど単純ではない。私たちは過去数年にわたり、〈当事者〉をめぐるシンポジウムやラウンドテーブルなどの場において、様々な角度から議論を積み重ねてきた。とは言え、まだ問題に取り組む端緒に着いたばかりなのかもしれない。これまでの成果を論集として世に問うことを機に、研究者自身が〈当事者〉であるか否かによって、その研究自体がどのような意味を帯びることとなるのかを改めて考えてみたい。そして、質的心理学研究における〈当事者〉の意味を、参加された方々と一緒に考えていきたい。





4)「展示」のナラティブ的理解――展示利用者による多様な解釈を創り出す

企   画: 並木美砂子(千葉市動物公園)
話題提供: 並木美砂子(千葉市動物公園)
        重盛恭一(まち研究所代表)*
        嵯峨創平(NPO環境文化のための対話研究所)*
司   会: 村井良子(プランニング・ラボ代表取締役)
指定討論: 茂呂雄二(筑波大学)
        南 博文(九州大学)
企画趣旨:
 さまざまな種類の博物館には、それぞれ「展示」という媒介物とそれを通じて作り手のメッセージを利用者一人ひとりに理解してもらうための「つなぎ役」としての人々が存在します。展示を成り立たせる「もの」にも歴史的な背景が、それを展示という空間構成に生かそうとする「人」にも歴史と与えられた「時間」があります。そしてそれを媒介としつつ自分の内側に世界を創り出そうとする利用者一人ひとりにももちろん歴史と時間が存在します。今回は、昨年のシンポジウムに引き続き、この「つなぎ役」をになう人の変容に焦点をあてた発表内容を用意し、表題のとおり利用者にとっての「展示のナラティブ的理解」をつなぎ役の意識変容と関連させて考察することとしたい。





5)心理学研究のメタ心理学 ―― 暗黙の質的フレームに迫る

企   画: 上淵 寿(東京学芸大学)
企画・司会: 本山方子(奈良女子大学)
話題提供: 青山征彦(駿河台大学)
        天ヶ瀬正博(奈良女子大学)*
        上淵 寿(東京学芸大学)
指定討論: 無藤 隆(白梅学園大学)
企画趣旨:
 心理学に限らず、諸科学が扱う概念は、各「分科学」のフレーム内にある、 「ルール」に基づき、成立している。この「概念」や「フレーム」は、それ以外の現象を「質的」に「排除」している。では、研究実践において、フレームやルールは、実際にはどのように機能しているのか。あるいは、どのようにリアリティを構築しているのだろうか。この問題について、本シンポジウムでは、実証研究者が自らの研究を手がかりとして語り合う。かつての日本の心理学には、理論を前面に押し出すことを嫌う風潮さえみられた。しかし、今や心理学の前提や共通項をみつけることすら、かなり困難な状況にある。そこで、心理学の暗黙の質的フレーム(暗黙の理論)を敢えて探せば、何があるのか、あるとすれば、それは何かを検討するのは重要な課題である。この探求を通じて、質的研究に限らず、心理学の今後の行方を省察したい。





6)ALS患者と共に考えるコミュニケーションの質

企   画: サトウタツヤ(立命館大学)
企画・司会: 水月昭道(立命館大学)
話題提供: 松原洋子(立命館大学)*
        久住純司(日本ALS協会近畿ブロック)*
        川口有美子(日本ALS協会理事、NPOさくら会理事)
        日高友郎(立命館大学大学院)
指定討論: 立岩真也(立命館大学)
        苅田知則(愛媛大学)
企画趣旨:
 本企画は、2007年3月4日に、大阪にある施設(ビッグ・アイ)において実施された、神経難病である筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis、以下ALS)患者とのIT技術を用いた交流会(ALS-ITプロジェクト)のアクションリサーチ的な実践について検討し討論する。ALSの特徴は「意識は明瞭であるが、その発露を助けるための身体が自由にならない」ことにある。そのため、症状が重篤な患者との交流は、時間的・場所的制約によるコミュニケーションの質が常に問題となる。
 本プロジェクトでは、これらの制約をなるべく取り払うべく環境整備を行い、患者・家族・介護者・研究者・学生などのさまざまな立場の者たちの間に交流をもたらす機会の実践を行った。その結果、遠隔地とのITコミュニケーションを含む重層的なコミュニケーションの場が成立していることがわかった。
 これらの場は患者やその周囲にいる人たちにとって、どのような意味を持っているのか、また、コミュニケーションそのものが持つ、人間の生存にとって有するであろう本質的な意味とは何か、当日参加した患者自身やサポートしたスタッフを含めて議論を行っていく。





7)質的研究と量的研究の“接点”と“相容れない点”を探る
  ――学習、教育研究者からの試み


企   画: 香川秀太(筑波大学大学院人間総合科学研究科)
企画・司会: 茂呂雄二(筑波大学大学院人間総合科学研究科)
話題提供:  三宅なほみ(中京大学情報理工学部)*
        大谷 尚(名古屋大学大学院教育発達科学研究科)
        香川秀太(筑波大学大学院人間総合科学研究科)
指定討論:  石黒広昭(立教大学文学部教育学科)*
        宮崎清孝(早稲田大学学人間科学学術院)
企画趣旨:
 昨今、質的研究の認知度が広まり、着実に成果として現れている。しかしながら、量的方法との関連性を問われたとき、十分な回答が得られている状況とは言い難い。質と量との関連性について、“安易な折衷は避けるべき”との意見もある一方で、“質と量は相補的”という言説もある。また、両者はそもそも“組み合わせ不可能”という、よりラディカルな言説もある。さらには、“量的手法の評価法を、質的研究に借用することはどの程度可能か”という評価法の問題まで、両者の関連性は議論の的となっている。質と量との二項間をめぐる物語は、一枚岩ではなく、多様であり、同時に混乱も招く危険性があるといえよう。無用な混乱を回避するため、では具体的に、“どういうときに組み合わせ可能で、どういうときに不可能か”、“組み合わせ可能ならば、どんな形で可能か”、本シンポジウムでは、質及び量的研究に取り組んでこられた学習、教育研究者を招き、これらの問題について、具体的に検討していただく。





8)臨床看護におけるナラティヴ:現場における時間性と生の現実

企   画: 紙野雪香(奈良女子大学大学院)
話題提供: 吉村雅世(奈良県立医科大学)
        和田恵美子(大阪府立大学)
        紙野雪香(奈良女子大学大学院)
指定討論: 森岡正芳(神戸大学)
        藤崎 郁(大阪大学)
企画趣旨:
 大会のテーマは「歴史性・時間性との出会い in NARA」である。そこで、本シンポジウムでは3人の話題提供者が「臨床看護におけるナラティヴ」をテーマに、各臨床現場におけるナラティヴからみた時間性と生の現実について検討する。
 近年、看護学領域ではナラティヴが注目されており文献数も著しく増加している一方、ナラティヴの意味について混乱している現状もある(紙野・吉村,2006)。基本的な考え方を共有しながらも、自分の現場における再定義の必要性があると考える(吉村・紙野・森岡,2006)。
 本シンポジウムでは、高齢者看護の現場(吉村)、がん看護の現場(紙野)、患者の闘病記(和田)という異なる立場のなかで、各自がとらえるナラティヴの意味と時間性をふまえそこに生きる人たちの生の現実にせまり議論を行っていきたい。





9)保育の場におけるビデオの目

企画・司会: 伊藤哲司(茨城大学)
企   画: 秋田喜代美(東京大学大学院)
話題提供: 門田理世(西南学院大学)
        斉藤こずゑ(國學院大学)
        宮内洋(高崎健康福祉大学短期大学部)
指定討論: 柴山真琴(鎌倉女子大学)
        秋田喜代美(東京大学大学院)
企画趣旨:
 質的研究において、ビデオカメラは必須の道具のひとつであると言っていいだろう。小型化されたビデオカメラを簡便に使えるようになり、そのことは質的研究を質的に変える力となってきた。しかしビデオカメラの導入は、プラスの面をもたらしたとばかりは言えない。質的研究者はそれによって何を得て、何を失い、どんな問題を抱えるに至ったのだろうか。保育の場におけるイベントでは、保護者たちが競い合うようにビデオカメラで子どもたちを撮影し、子どもたちは撮影されることに慣れている。そのような現状を踏まえ本シンポジウムでは、保育の場における質的研究にビデオカメラを用いることの意義や問題点に、様々な角度から検討・考察を加える。





10)質的研究では「事実」をどのように考えるのか

企画・司会: 能智正博(東京大学大学院教育学研究科)
企   画:  川野健治(国立精神・神経センター 精神保健研究所)
話題提供:  川野健治(国立精神・神経センター 精神保健研究所)
        山本登志哉(前橋国際大学国際社会専攻)
        作道信介 (弘前大学人文学部)
指定討論:  遠藤利彦(京都大学大学院教育学研究科)
企画趣旨:
 伝統的な科学は「事実」に基づくデータを分析して「現実」をとらえようとしてきたが、 科学哲学におけるパラダイム論などを皮切りに、そうした科学の志向性に疑問が投げかけられるようになってきた。 現代ではまた、客観的な「事実」や「現実」といった概念が単純に前提されるのではなく、ときには社会構成主義的な思考に沿ってそれらが否定されることすらある。
 しかし「事実」や「現実」を廃棄したとして、そのあとで何をもとに、あるいは何に向かって研究を行えばいいのかといった問題は、十分には議論されてはいないように思われる。 そこで今回のシンポジウムでは、何らかの形で「事実」を意識せざるをえない現場で質的研究を行っている研究者の方々をお迎えすることにした。 話題提供では、彼らが「事実」をどのようなものとみなし、研究のプロセスでそれにどのようにアプローチしているのかをお話しいただく予定である。 話題提供をもとにして、質的研究において「事実」をどう扱っていくことができるのか考え直してみたいと思う。