1300年の呪縛?――センター長あいさつ

本年4月より教育システム研究開発センター長を仰せつかりました。

 本センターは、奈良女子大学がその伝統ある附属学校園を大切にして活用して行くことを明確にするために、幼稚園・小学校・中等教育学校を全学附属に改組するのと同時に構想され、2004年に創設されました。きっかけは「附属の活用」でしたが、それにとどまらず、大学を含めた学校教育の全体を対象として、ポスト産業化社会にふさわしい新しい教育システムを研究・開発して、そのモデルを提案して行くことを目指していました。

 しかし、センターの創設に至る歩みは、必ずしも順調ではありませんでした。当時の学長と評議会に賛同はいただいたものの、いざ具体的に実行段階になると「諸般の事情」で話が進まない。結局、同時期に連携しつつ同じ状況に対応していたお茶の水女子大学に、時期的にも規模でも大幅に遅れをとったスタートとなりました。当初からこの附属改組とセンター構想に関わっていた私には、内心忸怩たるものがありました。

 ちょうどその年、懇意にしていた附属小学校の先生から誘っていただき、312日の東大寺の「お水取り」本番に二月堂の堂内で参拝する機会に恵まれました。深夜に続く読経と全身を叩きつけるような祈り、そして過去帳の読み上げと続く中でトランス状態に巻き込まれつつ、「ああ」と思いました。ここではこの「行」が1300年近く、戦乱の中でも一度も欠かさず続けられてきたとのこと。奈良というのは、そういう風土なのだ。時間の流れ方が違う。その中で、一年、二年で改革などとあがいても、所詮、通用する相手ではないのか、と。

 それから八年。本センターは初代内田聖二先生、二代森本恵子先生というお二人のセンター長のもとで、附属との連携に関しては着実に成果を蓄積してきました。そして現在、今度は大学本体が大きな変革の波に直面しています。その状況下、「大学も含めた」新たな教育システムの構想を目指した本センターの当初の志を呼び覚まし、外圧で変えられるのではなく、私たち大学人が自ら奈良女子大学を創って行くための触媒に、このセンターがなれないだろうか、と思います。創設当時、理学部の評議員としてこのセンターの趣旨を最もよく理解してくださっていた野口誠之・現学長からも、この度のセンター長就任にあたって、そのようなエールをいただきました。

 東大寺に比べれば本学はずいぶん「新しい」けれども、おそらく1300年の風土と無縁ではないでしょう。「奈良の寝倒れ」という言葉も、その後知りました。また他方で、「どの子どもにもある新しきもののために、教育は敢えて保守的でなければならない」というH. アーレントの至言も、あらためて頭をよぎります。奈良女子大学は、どのように変わるべきなのか。そもそも「変わる」とは、どういうことなのか。

――その答えは、奈良女子大学の大学人が自ら議論して作り上げて行くべきものだと考えます。本センターは今、その触媒となることを目指しています。昨年から始めている「大学の「機能分化」状況における専門教育と教養教育との創造的再構成」プロジェクトは、そのための試みです。附属校園とのいっそう緊密で有意義な連携の推進とあわせて、あらためて皆さまのご理解、ご協力をお願いする次第です。

奈良女子大学教育システム研究開発センター長 西村 拓生