附属3校園 合同研修会 シンポジウム

「ものろじーな子どもはどう育つのか」

2006/08/29
話題提供の要旨

   和田 恵次(理学部 生物科学科 教授)

  • 研究のスタイルは表の一番下「自然現象から新しいものを見つけ、それを説明する―発見の学問」。これは、ものごとを徹底的に見るところからでてくる。それに当たっては、先入観があると見つけられないものである。
  • サイエンスの発達は、発見があって認識が変わっていく、発見があって発見を説明する研究が続いていく。そしてまた新たな発見がある。これがサイエンスの流れだと思うが、新しいものを見つけるということに私は生きてきた。
  • 具体的に事例をあげれば、大きくは2つある。一つは、カニのダンスが違っていることを発見し、新種を発見したということ。ずっとカニを見ている途中にダンスが違うことを発見し、解析した。
  • 二つ目には、カニが嫌がらせをすることを見つけた。 先入観でみていると、カニのような脳が発達していないので、手の込んだことをするわけがないと思うが、それをカニがしていることを発見した。
  • 通常の研究しているときはある目的をもっている。そのときには新しい発見はできない。何故なら色眼鏡で見ているからである。何でもそうだと思う。学問は、ある見方でもって「切ろう」とするから他のものは見えない。我々も、視野には全て入っているのに見えない部分がある。結局、全く研究しているものとは考え方とはかけ離れてものを見ているときに発見した。これに尽きる。有名なのは、キューリー婦人しかり。それを、自分なりに見つけたと認識することが重要である。
  • これが私の研究スタイルである。 このスタイルのきっかけは何だろうかということであるが、それが私が小学校から高等まで経てきた中で培われたものではないか、と思い、資料にしている。
  • 私は、小学校のときは本当に低学年では計算できず、字が書けず、読めなかった。しかしどういう訳か高学年で成績が良いと言われるようになった。それまでは簡単なつり銭の計算さえもできないので、先生が心配していた。
  • きっかけは4年生、ちょうど発達、頭脳の発達としては、後で説明あると思うが重要なのでしょうね。 「季節便り」が課題でだされた。季節のかわりをキャッチして記録しようという課題である。モンシロチョウが飛んだ、花が咲いたなど、それを見つけてきて季節と結んでまとめてみようという課題であった。自分では楽しく、夏休みの課題だったが一年間続けたら高く評価された。そのときに自信がつき、勉強するようになったような気がする。このときの先生はあまり好きではなかったが、よく評価してくれたなと感謝している。その後、自然に対する目が鋭く向くようになった。
  • 多くの生物学者が若い頃に体験している、ノーベル賞の先生も体験しているが、昆虫採集を徹底してやるようになった。これで、環境と生物の関係を「体感」し、生物の多様性を感じるようになった。自分で山に入り、畑にいき、どこにどのようなものがいるか、を感じ、自然を「洞察」する力がついたように思う。
  • それが高じて中学、高校では生物クラブに入る。昆虫採集は中学も高校も行っていた。今日はその頃に作った標本を持って来ている。後で40歳の標本を見てほしい。
  • 高等学校では昆虫の生態を研究するようになり、研究者として進もうとする大きなきっかけになった。昆虫採集と昆虫の生態は、直接結び付くわけではないのだが、昆虫採集をしていると昆虫が面白くて面白くて、研究するようになった。
  • 例えばどんなことをしたかというと、カメノコハムシという虫がいる。これの幼虫が、面白いことに、お尻の突起に自分の糞をつけていく。且つ、脱皮したらそれもつけていく。何故こんなことをするのか、という理由を説明しようと一人で考えた。例えば飼育し、2つに分け、毎回片方の飼育箱は私が自分でくっつけたものをはずすようにして成長率の違いを見たり、何かに利用しているのかじっと観察したりした。
  • 結論を言うと、よくわかったのは、脱皮するときに葉っぱの端に引っ掛けて脱皮するという現象がわかった。でも、これを取り除いても脱皮はするので、必須ではない。葉っぱの端をひっかけるためだった。じっと観察することで、なるほど、そういうことかとまとめたりした。何かに発表した記憶がある。
  • そのような高校時代を経て大学に進んだ。大学紛争の時代で、東大と筑波、日大などの入試がなかった時代であり、東北大に進んだ。それは、ここで生態の研究をしていると知っていたからである。その中で、昆虫をしようとおもっていたが、行きたい研究室の先生が学長になってしまわれて(カトウムツオ先生)、研究室を離れられた。その後の栗原先生の専門の干潟の生物をすることになった。そこで初めて昆虫から離れたが、それ以降もどういうわけか干潟の生物をしている。海のない奈良に来てまでしている。
  • 卒業研究で先生に「昆虫をしたい」と言われたが、卒研でやりたいことをしたい、というのは生意気やと言われたので、それなら先生の言われたテーマと自分のやりたいテーマ、両方やらせてほしいとお願いして、両方することになった。そこで初めてカニの研究をした。その時はカニの分布という簡単なものであった。
  • よろしければ40年前の標本を見てほしい。