山の辺の道:北コース



山の辺の道とは...

古くは『日本書紀』に「山辺道(やまのへみち)」と記載されている古道。
詳細なルート確定はされていないが、大まかには三輪山の西南麓から奈良山丘陵に到る道であり、一般に言われる「山の辺の道」は観光的観点から指定された桜井市〜奈良市間のハイキングコースである、「東海道自然歩道」と重なる部分が多い。
石上神宮を境とした北側が「北コース」、南側が「南コース」と呼ばれる。



東海道自然歩道とは...

環境庁によって定められた、東京「明治の森高尾国定公園」〜大阪「明治の森箕面国定公園」間の総延長1697.2kmの長距離歩道。
随所に歴史史跡が見られ、「自然歩道」の名の通り人工的に舗装されていない部分も存在する。



「北コース」とは...

山の辺の道を石上神宮を境に分けた北側のコース。
「東海道自然歩道」をほぼ踏襲しており、未舗装の道が多い。
石上神宮から北へ順に、ウワナリ塚古墳―石上大塚古墳―ハミ塚古墳―東大寺山古墳―膳部寺(かしわでら)跡―願興寺(山口寺)跡―弘仁寺―正暦寺―円照寺―山村廃寺―崇道天皇八嶋陵―古市廃寺―白毫寺―鏡神社―新薬師寺―春日大社に到る。
ほんの数年前に整備されたばかりのコースであり、「南コース」と比べ見所が少なく地味である。



実際に歩いた、山の辺の道「北コース」


〜白毫寺

白毫寺―標識白毫寺―住宅街白毫寺―階段下

左から順に道標、途中、白毫寺階段下。
大通りから白毫寺へ行くためには小道に入る必要があるが、道標があるのは小道に入ってからの突きあたり。地図を見て歩く場合この時点で迷うことはないだろうが、少々不親切であることは否めない。
道の途中ほとんどは住宅地になっており、民家やアパートが立ち並ぶ。あまり「観光地」といった感じはしない。
なお、途中で高砂橋という橋を渡ることになる。橋といわれるとピンとこないような橋だが、歴史は感じられる。



〜円照寺

耕作地―フェンス耕作地―風景耕作地―風景

白毫寺を過ぎると本格的な東海道自然歩道へと入る。
シカ除けフェンスを越えた先に広がるのは長閑な田畑。春から秋にかけてであれば田舎特有の風景が見られるだろう。が、冬になると見ての通りの殺風景である。また、朽ちたフェンスが放置されていたり生やしっぱなしの竹やぶが迫っていたり、端々を見るとやはり観光向けの景観ではない。近隣住民の生活場であるためガヤガヤと騒いで歩くにも適さない。


自然歩道八坂神社溜池

再びフェンスを越えて耕作地を抜けると、東海道自然歩道の道標が現れる。その名の通り自然に溢れた未舗装の道を行くことになる。土であるため足元は悪いが、ハイキングコースには相応しい。ただ、自然=手入れされていないと同義なところがあり、鬱蒼とした印象を受ける。
途中、一旦林を抜けると八坂神社もある。八坂神社を通り過ぎると再びの耕作地が広がり、溜池が多く見られる。ここに限らず、奈良には溜池が多い。


竹林不動明王堂ひどい標識

耕作地から竹林に入る。タケノコが取るための個人所有地はそれなりに整えられた景観になっているが、それ以外は生えっぱなし。杉が植えられた、本来竹がなかったであろう場所にも侵出している。また、一旦竹林の開けたところに不動明王堂なる小さなお堂があり、歴史を感じる。
しかし、問題はこの先。地図を見て進んだにも関わらず道がない。引き返して道標をよく見てみると矢印の先に小さく×印が。もう少し分かりやすく表示するべきだろう。


白山比盗_社無人販売所嶋田神社

道を進むと自衛隊官舎、白山比盗_社、嶋田神社がある。自衛隊官舎は古びたアパートが並んでいる、といった印象。白山比盗_社は小奇麗ではあるが、外観で特筆すべきところは何もない。嶋田神社にいたっては、どこにでもある土着の神社である。観光して面白いものではないが、地域住民にとっては馴染み深い神社であろうことは伺える。
なお、途中途中の道で見られるのは雑木林か耕作地か民家。無人販売所は都会に住む人にとっては珍しいかもしれない。


崇道天皇陵―巨石円照寺―途中円照寺―入口

更に行くと崇道天皇陵がある。785年の事件に関わったとされるも無実を訴え島流し途中に絶食、悲嘆の内に死亡したとされる早良親王を祀った陵墓であるがあまり古さは感じられず、随所の陵墓と変わりない。写真は陵墓前にある巨石で、動かすと祟りがあるらしい。個人で動かせるサイズでもないため確かめようはないが、オカルトじみた小ネタとしては面白い。
崇道天皇陵を過ぎると漸く円照寺への道に入る。舗装はされていないが道は整備されている。拝観不可であるためか観光客は少ないようで、道が荒れていない。入口から覗ける範囲の敷地も美しく整えられている。手洗いは借りられるため、休憩がてら見に行く価値はある。なお、この付近には他の休憩所も手洗いも存在しない。



〜弘仁寺

耕作地弘仁寺―標識弘仁寺

またも耕作地を通ることになる。ここまで来ると緑茂る季節でも飽きがくるだろう程に同じ風景が続く。
暫く歩くとアスファルトの道に入り、正暦寺と弘仁寺とに続く分かれ道がある。徒歩のみで山の辺の道「北コース」を回るならばどちらか片方に留めなければ時間が足りなくなる。標識が分かりやすいのは有難い。
長い階段を上っていく弘仁寺への途中には小さな社もあり弘仁寺自体も広いが、一般に観光ガイドなどに書かれていること以上の特筆すべき点はない。



〜ウワナリ古墳

標識古墳公園標識

弘仁寺を過ぎると「天理・石上神宮」と書かれた東海道自然歩道・山の辺の道の道標が久しぶりに現れる。方角を知る手助けにはなるが、距離が書かれていないため、もうすぐ石上神宮に着くのだという勘違いを引き起こす可能性がある。実際は石上神宮まではまだ遠い。
ここからは舗装された道が続く。道の周りにあるものは雑木林や竹林がほとんどであり、景観に面白みはない。暫く行くと古墳公園という広い公園に辿り着く。ここには古墳群の説明が書いてあったり屋根付きの休憩所もある。拝観料の要る寺社に入らない場合、はじめてまともに休憩できる場所と言える。この公園を抜けると白川ダムがある。

標識石室天井

道を逸れ、ぶどう畑に入り込んだところにウワナリ古墳群がある。これは普通の地図を見ていくには行きづらい場所にあり、近鉄発行の「てくてくまっぷ」では大まかな位置しか分からない。この古墳は個人所有のものであり、林の中を進んだところに開口部がある。フェンスは簡単に開くことができ、内部見学自由。
入口は狭いが石室内は大人数人が余裕を持って動けるほどに広く天井も高い。懐中電灯必須。分かりづらく入口は入りづらいが、見学して損はない。普通であれば石室内に入れることは滅多にないため、下手な観光スポットより価値がある。ちなみに一番右の写真は天井を写したもの。



〜豊日神社

畑ふしぎな石豊日神社御由緒

ウワナリ古墳からは果樹園を通って石上神宮を目指す。畦道を通る際は気を付けていかなければいけないが、今までの畑と違い果樹がある分、見栄えがする。また、途中におそらく地元の子供たちが作ったと思われる「ふしぎな石」がある。石が落ちないよう置き場に工夫が凝らしてあるため危険もなく、少しばかり和める。
果樹園を抜けて更に進むと豊日神社所縁の神社と豊日神社に辿り着く。写真は前者のもの。入口入ってすぐと階段の上とに社があり、上の社への階段はかなり急。手すりがなく足元も悪いため、上に行く際は十分注意しないと危ない。



〜天理教本部

標識古墳公園標識

豊日神社から石上神宮へ向かう途中、雑木林の中に和歌に詠まれている「布留の高橋」と布留川がある。名前の通り、川から橋までかなりの高さがある。
そのまま更に雑木林を抜けて進んでいくと、石上神宮に辿り着く。ここまで歩いてきて初めての観光地らしい観光地である。ただし、建て直しのせいか最古の神社というには新しく見える。ここには369年に百済王が倭王に与えたとされる「七支刀(ななつさやのたち)」がある。写真で見るより実物で見た方が良い。また、境内に様々な種類の鶏がおり、木に止まっている姿も見ることが出来る。この鶏は神の使いらしい。
最終地点は天理教本部。端から端まで見渡せないレベルの最大規模である。石上神宮でも言えることだが、こちら側から「北コース」を回ったら、どんどん見所が減っていく回り方になるだろう。ガイドでは石上神宮起点となっているが、逆回りにした方が良いように思えた。