目 次
むべの歴史
むべを実際に食す
◆「平安時代の菓子」にもどる◆
『延喜式』によると、近江国(現在の滋賀県)と山城国(現在の京都府の一部)に貢納が命じられていた「むべ」。
山で採れる「アケビ」を少し小さくしたような、不思議な果物です。
なぜこの果物には「むべ」という変わった名前がついたのでしょうか?
それにはこんな伝説があります。
近江大津宮が栄えていた頃のこと。
天智天皇が近江国の蒲生野で狩りをしたとき、琵琶湖に面した蒲生郡奥島庄という場所に立ち寄りました。 そこで天皇はとんでもない老夫婦に出会いました。 彼らは子どもを8人も持ち、とても長生きをしている上に病気一つしていないのです。
驚いた天皇は、なぜこのように健康で長生きできるのかを夫婦に訪ねました。 すると夫婦は「この地に古くから伝わる果物を、毎年秋に食しているからです。」といい、アケビを小さくしたようなような果物を見せました。
不思議に思った天皇はその果物を口にすると、一言「むべなるかな。」(もっともであるなあ)と言い、朝廷に毎年献上するように、と命じました。
このとき天皇が口にした「むべ」という言葉が、そのまま不思議な果物の名前になってしまった、ということです。 そして、この年から、奥島地区から朝廷へのむべ献上が始まったのでした。
この「奥島」という地区、現在では滋賀県近江八幡市の一部に含まれている琵琶湖畔の地域で、「奥島」「島」という地名も、今でも残っています。 現在でもむべを生産し、秋になると宮中に献上し続けてきましたが、最近、町おこしの一環として、一般向けにも「むべ」が販売されるようになりました。
このたび、その「むべ」を、実際に入手して試食してみました!
これがむべです。アケビにも似ていますが、一回り小さく、片手に難なく乗ってしまうサイズ。さわった感触は柿やリンゴほどは堅くありません。
※ちなみに、アケビとの大きな違いは、どれだけ熟しても身が割れないこと、葉が年中緑色であること、らしいです。
縦に切ってみました。断面はこんな感じ。
まるでスイカの種のような、細かい種がたくさん入っていました。実は、食べられるのは、種のまわりについているゼリー状のごくわずかな部分だけです!
食べてみるとほんのり甘い味がして、おいしく食べられました。しかし、食べられる部分はすごく少ないうえに、種をよけて食べるのもかなり大変です。
「むべ」は昔から食べられていた果物で、わざわざ植えなくても、民家の近くの裏山・里山のようなところにも生えていたものでした。しかし、現在では滋賀県内でも知らない人がいるような、珍しい存在になってしまいました。
皆さんの地元にも、このような由緒ある果物や野菜が隠れているかもしれません。