話題提供2 証言における多重時間性と移動―― Vygotsky理論の視点から
                                    高木光太郎(東京学芸大学国際教育センター)


 文化心理学に関連した講義で、受講生に擬似的に「文化間移動」を体験してもらう。その手順は以下のようなものである。まず山本が実際に北京の託児所や小学校で撮影した教育の場面を編集したビデオを見てもらう。その最初の場面の子どもたちの様子から、日本の受講生の驚きは始まる。およそ自分たちが見たこと、経験のしたことのない子どもの姿があり、先生とのやりとりがあり、教育の姿勢がある。
 L. S. Vygotskyは人間の心的過程の個体発生を、生物学的な進化としての系統発生のプロセスと、社会、文化の漸進的な変化としての歴史発生のプロセスが交差する場所で理解することを試みた最初の心理学者の一人である。彼の試みが卓抜であったのは、「生物学的なもの」「社会−文化的なもの」をそれぞれ脱時間的に存在するシステムあるいは機能単位としてとらえ、それらの間の因果的な影響関係を解明するのではなく、それらを系統発生、歴史発生という「異なる時間」の関係としてとらえようとしていたこと、そして、その関係を具体的に把握するために媒介(道具、記号)に注目するという方法論を示したところにある。これに加えVygotskyは人間の心的過程が社会、文化に適合的に形成されるだけではなく、その人独自の個別的、具体的なあり方へと「個性化」していく過程にも注目し、未完成ではあるがそれを「人間の具体的心理学」として展開することも試みていた。
 このようにVygotskyは生物学的な水準から社会−文化的な水準を経て個別具体的な人間の水準に至る多重時間的な発生論的心理学の構築をこころみていたが、その際、自身の構想と結びつけて頻繁に言及していたのが「記憶術」に関係する逸話、観察、実験であった。これは記憶という現象が、知覚された事象をなんらかのかたちで身体に刻印することと(古典的な記憶の認知心理学が想定していたように事象の言語的な説明と同型的な表象が長期記憶に貯蔵されているという見方は、記憶の生物学的な水準と語りの社会−文化的な水準を混同した誤謬だと考えられるが、身体が知覚した事象をなんらかのかたちで反映し、それを持続することは間違いない)、それを社会−文化に適合的なかたちで操作することとの関係、つまり「生物学的なもの」と「社会−文化的なもの」との発生論的な重なりあいとして非常に明確な構造をもっているためであったと考えられる。記憶という現象は、多重的時間的な発生論的心理学を展開する格好のフィールドなのであった。
 このような視点をふまえ、本報告では「証言」という記憶が中核的な役割を果たす社会的実践に注目し、それを生物学的な水準から個別具体的な人間の水準に至る重層的な過程として理解することを試みる。より具体的には子どもや知的障害者が証言者となっている証言場面にみられるコミュニケーションの分析から、「過去の出来事への共同参照の構築」(証言者と聴取者が同じ過去の出来事に言及し、それに対する共同参照構造を維持していく過程)、「捩れた権力関係」(体験者である証言者よりも体験を持たない聴取者が権力的に上位にたつという社会的枠組み)、「動的な個別性としてのスキーマ」(証言者の語りが社会−文化的枠組みの要求や想定とは異なる水準で一定の個別的なパターンを示す現象)など、Vygotsky的な多重時間性と結びつきうるいくつかの注目すべき水準をとりだし、それらの重なり合いのなかで証言という具体的な実践を描出してみたい。
 証言はまた、「他者の記憶を原則として信用する」という記憶をめぐる日常的なコミュニケーションの枠組みを逸脱した「非日常的」で「異様な」実践でもあり、これが虚偽自白のような問題の発生と深く結びついていると考えられる。したがって証言という行為は「日常生活」から「証言の世界」へという一種の文化間移動としてとらえることが可能である。当日はこの点も視野に入れ、「多重時間性と移動」という視点で検討を進めていくことになる。