国立大学法人 奈良女子大学 『奈良八重桜PJ(プロジェクト)』

      

■ ナラノヤエザクラ
 

    奈良の八重桜(ナラノヤエザクラ) は、八重桜の一種でオクヤマザクラが重弁化した変種であると考えられています。花時期は、5月初旬。 蕾の頃は濃い紅色を、花の開花期は白に近い淡い紅色、そして散り際に花びらがまた紅色を深め、可憐で葉の陰に隠れる様にひそやかに咲きます。

    1678年(延宝6年)大久保秀典、林伊祐らが書いた「奈良名所八重桜」には、第45代聖武天皇が三笠山(現在の若草山)奥の谷間で美しい八重桜を見つけ、臣下たちが宮中に移し植えたと記されています。

    平安時代中期の女流歌人 伊勢大輔が宮中で詠んだ和歌
    「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」
に一条天皇の中宮・彰子が    「九重に にほうをみれば桜狩 重ねてきたる春かとぞ思ふ」
と返した歌はともに今日においても色あせず美しく心に響きます。

   中世の仏教説話集『沙石集』(1283)には、中宮・彰子が興福寺東円堂そばにある桜を大変気に入り、宮中に移植するように命じたが名桜の移植を嘆いた堂衆たちが「命にかけてもその桜、京へは運ばせぬ」と荷車を止めたと書かれています。

   古歌に詠まれ、書物、図録にも残されている八重桜ですが、大正11年の春、東大寺知足院を訪れた三好学博士によって、その種が見出され、翌年3月7日に「知足院奈良八重桜」として国の天然記念物に指定されます。奈良を代表する花として、奈良県花、奈良市章・市花に用いられ、奈良女子高等師範学校の校章として、現在の国立大学法人奈良女子大学の学章に引き継がれています。



■ プロジェクトの起点
 

   平成18年5月。奈良女子大学らしい商品創りをと考えていた奈良女子大学社会連携センター准教授藤野千代が、学章の一部に用いられており、大学構内に植えられている「ナラノヤエザクラ」から清酒用酵母を分離して清酒を造ろうと企画。同じく学章には『大和なでしこ(河原ナデシコ)』も使われていますが、ナデシコは構内には生育していないことと『ナラノヤエザクラ』がもつ豊かな歴史的な物語性にはとうてい及ばないことから『ナラノヤエザクラ』の花酵母を分離したいと決意することとなります。

   平成18年5月。『ナラノヤエザクラ』の花期は4月末から5月始めの僅かな期間で、企画立案初年はすでに花も散り、散らずに残った乾燥した花と、野生のさくらんぼがわずかに実っているだけです。手の届かない高い位置にある花や実は、施設課より高枝切バサミを借りて採取。「先生はこんなこともされるのですか?」という通りすがりの学生の一言には心が和みます(おそらく剪定中と思ったのでしょう)。

   採取された実は 理学部生物科学科鈴木孝仁(教授)研究室へ持ち込まれます。桜実を持ち、清酒用酵母の分離依頼を行うと「その仕事、是非やらせてください」と一言。この瞬間に【奈良八重桜PJ(プロジェクト)】が始動します。この年に分離された酵母(NY2株)は、酒用酵母種(Saccharomyces cerevisiae)ではありませんが、蜂蜜用芳香のするものでした。

   平成18年6月。京都宝ヶ池国際会議場にて開催された第6回産学官連携推進会議において「奈良八重桜の酵母に関する開発」として初めて公開しました。



■ 「奈良の八重桜」から広がる夢
 

   平成18年6月。DNAシークエンサーにより塩基配列を決定し、種の同定を行うために理学部生物科学科准教授岩口伸一が参画。

   平成18年9月。NY2株に対しての報告書より。

      ・染色体比較データ解析では、染色体の大きさより人由来の Candida でないないといえる。
        基準株により同定研究を継続する。
      ・DNA解析より、 Metschnikowia(花粉からとれる酵母)との相同性は98%。
        ただし、糖発酵・資化性の性質は一致していない。
      ・NY2株を25℃で空気遮蔽(CO2置換)した条件でアルコール生成能力の試験を実施。
        第一次試験アルコール濃度2%
      ・NY2株は香気生成能の高い耐塩性酵母であるといえる。
        みそなどの醸造食品に添加し、香気を改良した高品質な製品の開発を行うことができる。

   平成18年9月。奈良の八重桜の天然酵母を利用した商品群創出のプランを披露。

      奈良県商工労働部、奈良県工業技術センター、奈良県中小企業支援センター、
      今西清兵衛商店と以降定期的に研究会を開催することとなります。
      また、「広がりの期待できる取り組み」として、中小企業基盤整備機構殿がオブザーバーとして
      適時相談にのっていただけることになりました。



■ プロジェクト2年目(平成19年)
 

   平成19年4月−5月。構内に咲くナラノヤエザクラ(附属図書館東側3本と、記念館西側1本)から複数の日を設け、教授鈴木孝仁、准教授岩口伸一によるナラノヤエザクラ花の採取が続きました。

   平成19年6月。京都宝ヶ池国際会議場にて開催された第7回産学官連携推進会議において「奈良八重桜の酵母に関する開発」として経過報告。酒用酵母(サッカロマイセスセレビッセ)種の分離には未だいたらないことを報告。同会場で「セレビッシェ種が採れても旨いお酒ができる保証はないし、素人が数年で出来る仕事ではない。」と助言をいただきました。

   平成19年末 。「仮に翌年に酒用酵母が採れたとして、大学百周年記念日にその酵母を使った清酒を出すことは時間的に不可能である。」「酒用酵母ではないが香りに特徴のある酵母は採れているので、リキュールなどハードルの低いところで商品化を狙ってはどうか。」といった意見が出始めました。



■ プロジェクト3年目(平成20年)
 

   平成20年4月−5月。構内に咲くナラノヤエザクラ(附属図書館東側3本と、記念館西側1本)に加え、奈良公園に生育するナラノヤエザクラを複数日にわけて採取。理学部生物科学科の学生も採取から分離試験へと参画。またこの年には奈良県工業技術センターの研究員も採取から参画し、本学理学部と工業技術センターは連絡会議を頻度高く行いました。

   奈良公園での採取には事前に奈良公園管理事務所の許可をいただきました。奈良公園管理事務所の方には公園内での桜木の成育場所を教えていただいたほか、育苗場での採取許可もいただきました。 学生採取メンバー(千蔵幸代、森崎麻貴、宮水晶、築山香菜子、木村和美、亀尾裕子、飛弾光、金子幸代)。

   平成20年度 奈良女子大学プロジェクト経費研究として認可。

      研究課題「奈良八重桜から分離した野生酵母を利用した発酵食品開発」
      研究代表者 理学部准教授 岩口伸一



   平成20年6−7月。採取時に滅菌チューブ(330本)に入れられた花は、採取とともに順次試験されました。アルコール生成能力が認められたものはDNA解析に直ちにかけられますが、本学が採取した桜から酒用酵母を分離することはできませんでした。



   平成20年6−7月。  奈良県工業技術センターより「いくつかアルコール生成能力のある株があるので、引き続き試験を行います。」との連絡に、『酒用酵母が見つかって欲しい』『なんとか大学百周年に間に合わせたい』との一心で、「すぐにDNA解析をかけるのでサンプルをいただきたい。」と本学理学部准教授岩口伸一が呼応。

   平成20年8月。  奈良県工業技術センターの採取した株のうち1つが、酒用酵母であると断定。

   このとき、奈良県および奈良県工業技術センター研究員は「酒用酵母というだけで、まだキラー特性(他の酒用酵母と殺し合わないという性質)や形態安定度も不明だし、アルコール濃度がどこまででるかや、ましてや旨い酒を醸すかどうかもわからない。これからいくつかの試験を重ねる必要がある。一般酒蔵での醸造にはもう1年は最低必要。」とコメント。

   平成20年8月。  本学理学部でただちにキラー特性試験を実施(その後、奈良県工業技術センターにおいてもキラー特性試験が実施されます。)。試験の結果、今西清兵衛商店の蔵で使用されている協会酵母に対してキラー性を示さず、安心して使用できる可能性が見出されました。ただ、古くから醸造蔵元では蔵酵母と呼ばれる醸造には直接関らない酵母が、旨みに関係しているのではと憶測されていますが、蔵酵母との相性は試験できません。
   「来年3月の蔵でのすべての仕込みが終わった最終であれば、もしかしたら醸造できるかもしれません。」と今西清兵衛商店 櫻井大貴さんからの一言がプロジェクトチームの意志を強くさせます。

   平成20年8月。  正倉院宝物デザイン(初期目は金銀平脱皮箱を基調に作成。2期目は平成21年4月に平螺鈿背八花鏡を基に作成。)を模したパッケージデザイン製作に着手。秋頃よりカラープリンタで印刷して箱形状に組み立てては評価していきます(組み立ては本学研究協力課福塚淳子と高本麻樹が対応。その総数記憶に残るだけでも、5ー60箱を軽く超えました。)。パッケージのシンボルとなる「ナラノヤエザクラ」デザインは、理学部生物科学科4回生の学生作品『切り絵』を完全電子化したものです。



   パッケージデザイン

(D:理学部生物科学科 森崎麻貴)

(D/I:社会連携センター 藤野千代)

(I:社会連携センター 藤野千代)



   ラベルデザイン(最終仕様は右下。)

(D:理学部生物科学科 森崎麻貴   D/I:社会連携センター 藤野千代)



   商品に同包されるパンフレット(4つ折り、観音開きタイプ)

(D/I:社会連携センター 藤野千代)



   平成20年9−10月。奈良県工業技術センターにて試験醸造を実施。
本学は試験醸造免許がなく試験醸造できません。

   平成20年11月14日。三輪明神大神神社 醸造安全祈願祭。
清酒発祥の地奈良県では、毎年この日に全国の蔵元が集い、醸造の安全祈願を行います。この期に及んでは「祈る」ことしかできない本学は、今西清兵衛商店さんにお願いして祈願同行させていただきました。



   平成20年12月。今西清兵衛商店でのタンク(総米2トン仕込み)醸造が開始。
「酒母(しゅぼ)」造りがこの年末に開始されました。本来は蔵での酒創りがすべて終わった来年3月と予定されていましたが、「来年3月のプロジェクト成果報告会で、実物があるのと無いのでは雲泥の差になるでしょう。」と、今西清兵衛商店五代目当主今西清隆さんの決断で、醸造予定をずらし大勝負に出ることとなりました。後日、「社長よくGOサイン出したなぁー」と当時を振り返っては社員の方から必ず聞かれる言葉です。

   しぼりまでには、幾度にも分けられた仕込みや温度管理など、離せない日々が続きます。准教授岩口伸一も時折り蔵をのぞかせていただきましたが、それにもまして醸造の様子が気がかりで、早朝5時からの仕込みにも立ち会った学生が生物科学科4回生の千蔵幸代さんです。顕微鏡でのぞいた酵母が製品になるまでといった貴重な体験をさせていただきました。



■ プロジェクト4年目(平成21年)
 

   平成21年1月。「奈良の八重桜」とラベル書を 興福寺貫首 多川俊映氏に書いていただきました。
「ナラノヤエザクラ」と興福寺の関係は深く、平城遷都1300年祭を前に愛情のこもった書をいただくことができたという知らせに、関係者一同ガッツポーズものでした。

   平成21年1月。「ナラノヤエザクラ」酵母を利用した酒製品などの商品群に関して奈良県工業技術センターを中心に特許出願がなされます。本学は発明者として鈴木孝仁、岩口伸一が名前を連ねます。

   【新聞記事 1月21日(読売新聞:奈良版)】
   【新聞記事 1月21日(毎日新聞:近畿版/一面)】
   【新聞記事 1月21日(毎日新聞:近畿版)】


   平成21年2月5日。醸造された清酒が初めてしぼられる日です。昼過ぎから報道陣の方も酒蔵に入ります。この日まで試飲していない蔵人の皆さんの緊張はピークに達し、本学学長久米健次によるバルブ開栓時の歓喜の声も耳には届いてないようです。
   勢いよく流れ出した清酒の香りは爽やかで、関係者の試飲による「美味しい!」の声にようやく緊張から開放される蔵人の皆さんでした。



   【新聞記事 2月 5日(毎日新聞:奈良版)】
   【新聞記事 2月11日(読売新聞:奈良版)】
   【新聞記事 2月20日(朝日新聞:奈良版)】
   【新聞記事 2月25日(奈良新聞)】


   平成21年3月9日。奈良八重桜PJ(プロジェクト)成果報告会。
昨年の年末から、3月の吉日に新酒披露の会をしようと決めていました。3月というのは、プロジェクトメンバーに異動(学生の卒業も含む)などがなく全員揃って行えるだろうという想いからです。ただ、この3月という時期は大学にとっては入試シーズンで慌しく、前期入学試験の合格発表が終わり、後期の試験が始まるまでの僅かな期間で良い日(9日は友引でした)ということで9日に決定しました。
   前半の部を本学理学部主催にて学会形式にて開催し、後半は今西清兵衛商店殿主催で試飲会形式にて実施します。試飲会では奈良の若手料理人の会「蛍の会」より、この清酒に合う料理も披露されたり、奈良バーテンダー協会の方によるこの清酒をベースとしたカクテルの紹介があり、多くの方がこのプロジェクトに華を添えてくださいました。



   【新聞記事 3月10日(毎日新聞:奈良版)】
   【新聞記事 3月10日(奈良新聞)】
   【新聞記事 3月16日(日経新聞)】



   平成21年4月1日。本学理学部生物科学科に試験醸造認可

   昨年秋より試験醸造に必要な書類を、奈良税務署酒税官の助言や奈良県工業技術センター、今西清兵衛商店からのアドバイスを得ながら社会連携センター藤野が書類を整えていたものに認可がおりました。

   平成21年4月4日。東京日本橋「奈良まほろば館」オープン。
東京日本橋の三越百貨店より道路をはさんで向かい側のビル(1−2階)にスペースを確保して、奈良県の情報発信拠点「奈良まほろば館」がオープンしました。奈良県知事らによるテープカットの後は、祝い事として「鏡開き」が用意されましたが、このときに清酒「奈良の八重桜」が使われました。館内関係者、館外でオープンを待つ一般の方々に直ちに振舞われました。その後まほろば館オープニング限定商品として館内で先行発売されます。



   平成21年5月1日。発売開始。


   本学創立百周年記念日に発売日をそろえて大学生協、蔵元、百貨店などで発売が開始されます。しかしながら、発売日までの予約のみで初回瓶積め作業を終了した5000本がほぼ完売。GW始めにもかかわらず蔵元でも3日開店早々には完売してしまう盛況ぶりで、多くのお客様に迷惑をおかけしました。



   平成21年5月1日。『クリスタルチェリー〜桜乙女〜』於:奈良ホテル。
奈良ホテル殿は本学と同じ2009年に創業百周年を迎えられます。創業記念日は今秋ですが、本学との百周年コラボ商品として、清酒「奈良の八重桜」をベースとした爽やかなカクテルを商品化してくださいました。

■ あとがき

   時間的にはかなり厳しく体力的にもきつかったのすが、不思議と爽快感が残るこれまでの期間でした。
 卒業旅行に行ってきたといってはお土産を蔵人さんに配る学生さん。通常では8月に酒用酵母と確認できただけで12月に酒蔵で仕込むことはまずありえないことですが、何とか本学百周年日に間に合わせたいと、学内スタッフはもとより学外の方もそれは必死にクリアすべきことを次々に試験しては、時間との戦いに果敢に挑戦してくださいました。
 ただ一株しか分離できなかった酒用酵母ですが、あらゆる試験をすべてクリアし、まさに奇跡の酵母として美味なお酒を醸してくれました。しかも、現在市場に流通している日本酒とは少し違ったワイン風の爽やかな味です。
 パッケージに同包した栞は、本学で完全入稿データとして作成しましたが、(株)実業印刷様にはわずかなデータのずれや、さらに黒が美しくなるとリッチブラックという色を教えていただきました。(有)レーベルシステム様には、パッケージの入稿データをより格調高くなるようにと、桜色の調整をかけていただいたほか、ラベルについても「見る方向で優しく色が変わるイメージを」というお願いを形にしていただきました。
 右の写真は平成21年「ナラノヤエザクラ」の下に笑顔で集ったときの写真です。