【対 談】奈良女子大学長今岡春樹 ×  卒業生黒川伊保子

奈良でみがいた感性と好奇心〜語感との出会い、理系からのアプローチ〜

奈良女子大学長 今岡春樹、卒業生 黒川伊保子
■企業の研究室勤務を経て独立し、会社を設立
学長 本日は、卒業生の黒川伊保子さんをお迎えしました。卒業後のご活躍の様子や、奈良女子大で学んだことについて語り合いたいと思います。
黒川 大変光栄です。よろしくお願いします。
学長 黒川さんは脳と言葉についてずっと研究しておられるのですね。世界初の語感分析法「サブリミナル・インプレッション導出法」を開発し、マーケティングの世界に新境地を開かれたと聞いています。ご自身の脳科学研究の成果をビジネスに活かす株式会社感性リサーチの代表取締役社長として、書籍もたくさん執筆しておられますね。ご著書についても後ほど伺いたいと思います。まずは、卒業後から今までの黒川さんの歩みを教えてください。
黒川 卒業後はコンピュータメーカーに就職しました。私が卒業・就職した1980年代は、ちょうどNTTの電話交換機がデジタル化されたり、銀行のオンライン化が進んだりと、世の中が電子化の嵐でしたので、コンピュータならこの先食べていけるだろうと。
学長 会社では人工知能を研究されていたと聞いています。具体的にどんな内容なのでしょう。
黒川 私に与えられたミッションは自然言語対話と呼ばれるものでした。人間とロボットがどうやって会話をすればストレスがないかを研究していました。
学長 最初の会社を退職後、どんな経緯で独立したのでしょうか。
黒川 13年間その会社で働いたのち、社内の研究室のメンバーで立ち上げたベンチャー企業を経て、フリーのコンサルタントとして独立しました。最初はコンサルティングで得たお金を研究費に当てていましたが、本を書くようになってからは印税でまかなえるようになり、会社を立ち上げました。
学長 会社の事業内容を聞かせてください。
黒川 当社では、男女、年齢、英語や日本語といった母語、時代の4つの要素を基に、脳の違いによるマーケティングを展開しています。脳にとって何が心地よいかを数値化するんです。最近では、男女脳の違いを理解することによって組織力をアップする講座がご好評をいただいております。

奈良女子大学長 今岡春樹
今岡 春樹(いまおか はるき)
工学博士。通産省工業技術院繊維高分子材料研究所技官、奈良女子大学家政学部助教授を経て、2001年奈良女子大学教授、2011年生活環境学部長を歴任。2013年に奈良女子大学学長に就任した。専門研究分野はアパレル工学。
■「語感」との出会い
学長 今やっておられることは、脳科学と言語学、発声学をうまく組み合わせていますね。語感というものに興味を持たれたのはなぜでしょうか。
黒川 会社員時代、日本で初めて日本語で会話するデータベースというものを開発しました。日本語で問い合わせるとその内容を検索してくれるというものなのですが、稼働して3ヶ月程でクレームが入ったんです。音声は出なく、文字が表示されるだけの端末だったのですが、「夜中の作業中に、質問に対して“はい”という表示が3つ続くとすごく傷つく」と。
学長 クレームというか愚痴に近い(笑)。しかし、それは感覚としてわかりますね。2回まではいい、3回目はなんだかないがしろにされている気がする。
黒川 確かに生身の人間では、質問の内容によって「はい」「ええ」「そうです」「はい」といった感じになりますよね。かと言って、「はい」「ええ」「そう」と規則正しく並べるのもおかしい。当時は予算も時間もなかったので、ランダム関数を使って不規則にいれてみたんです。すると、今度は「この部分は“はい”じゃないと不安になる」と。そこでこの問題を解決するには「はい」「ええ」「そう」の語感の違いの解明が必要になりまして。でも、いざ研究を始めてみると、答えは言語学にも心理学にもなかったんです。
 そんなクレームが入ったのが1991年の7月。ちょうど臨月だった私はその直後に産休に入り、8月に出産しました。ある日、子どもがおっぱいをくわえ損ねて、「haM」って言ったんです。日本人として言葉を覚えるとなかなか出せない、ネイティブの英語のMでした。その時「なんて美しい単体子音のMなのかしら。そういえば、M音ってちょうどおっぱいを加える口の形なんだわ」と気付き、そこから、語感とは、発音する時の運動体感による小脳経由の右脳のイメージ信号であるということを発見しました。
学長 ずっと持っていた問題意識が、子育ての体験と一致して発見に繋がったのですね。
卒業生 黒川伊保子
黒川 伊保子(くろかわ いほこ)
1983年奈良女子大学理学部物理学科卒業。(株)感性リサーチ代表取締役。人工知能エンジニアを経て、感性分析の専門家に。日本感性工学会評議員、随筆家。著書に、『恋愛脳』、『夫婦脳』(新潮文庫)『日本語はなぜ美しいのか』(集英社新書)など。
黒川 子育てがチャンスをくれましたね。ただ、旧来の研究を引き継いだものは何もなかったので、当初は論文を出そうにもなかなか受け取ってもらえなかったです。
学長 新しいことをやる時はやはり大変ですね。類型研究を書かないと論文もリジェクトですし。
黒川 『怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか』(新潮新書刊)には、こんな一節を書きました。「私が一番最初にこのことを発見できた理由は、私が女性で、子供を産み、“あいうえお”という子音と母音の二次元の表を持った日本語を母語に持つ日本人だからに違いない」。すると、イギリスの言語学者からメールが来たんです。堪能な日本語で、「それを最初に発見したのはあなたではなく、我々ヨーロッパ人のソクラテスです」と書いてありました。
学長 第一発見者じゃないと知ってショックでしたか。
黒川 いいえ。むしろ、それまでは少し不安だったんです。私しかこのことを言っていないということは、どこかで間違いを犯しているのではないかって。でもソクラテスが言っているのなら正しいですよね(笑)。『クラテュロス』というプラトンとの鼎談集に確かに書いてありました。それを論文のリファレンスに入れたら、OKになったんです!
学長 それは素晴らしい。学問をやっていく上でオリジナリティは大切。その上で、オリジナルの発見に説得力を増す努力をしていることに大いに拍手を送りたいです。

■著書「英雄の書」について
学長 今日は数あるご著書の中から『英雄の書』(ポプラ社刊)を持参しました。この本の内容を少しご紹介いただけますか。
黒川 これから人生の道のりを歩いていく人のために、人生に立ち向かう方法論について書きました。自尊心の作り方、失敗の捉え方などですね。この世は脳が見ている世界。誰もが「世界」の中心にいます。人生の主人公なのです。人生の道を歩くということは、遥かなる冒険の旅に英雄として乗り出すことだと思っています。なので、英雄になる君へと想いを込めてこのタイトルを付けました。
学長 特に第4章の「使命感の章」は納得感がありますね。使命感を持って行動している時は、しんどい時に粘りがでます。自分のためだけに行動すると、しんどくなって「もういいや」となるのが早い気がします。
黒川 使命感を持つと免疫力が上がるんです。体の抗酸化力が高まり、疲労物質が生まれにくくなります。使命感のあるなしでどれだけ頑張れるかは変わってきます。成功者、英雄と呼ばれる方はそれを経験で知るところがすごいなと思いますね。この本は、科学の視点からそのことを紹介しています。
学長 どんなきっかけでこの本を書かれたのでしょうか。
奈良女子大学長 今岡春樹、卒業生 黒川伊保子
黒川 息子が大学4年生で就職が決まった時、お正月の1週間を使って書きました。
学長 なるほど、息子に贈る言葉なんですね。すごくわかりやすくて、内容がスッと頭に入ってきます。学生たちにも薦めたいです。

■奈良女子大で学んだこと、奈良で学ぶということ
学長 そろそろ学生時代のお話しをお聞きしましょう。ご出身は栃木県と聞いていますが、奈良女子大を志望されたのはなぜでしょうか。
黒川 高校時代は国立理系のクラスで50〜60人くらい生徒がいました。その中で、女子はたったの6人。もっと女友達が欲しいと思っていたので、理系を選ぶなら絶対女子大と決めていました。その当時、物理学科がある女子大はお茶の水女子大と奈良女子大の二つ。大学生になるのを機に親元を離れたかったのもあり、それならば奈良女子大が良いだろうと。
学長 最初から理系だったのですか。
黒川 いえ、最初は国文学をやろうと思っていました。言葉と音の研究がしたかったんです。私の名前は「イホコ」と言いますが、この名前は息を使い切ってしまう名前なので、両親ですら私を叱る時に「イホコ!イホコはまったく!」と2回名前を呼ぶとヘトヘトに。脳が酸欠になって、怒りのボルテージが下がってしまうのに、私の弟「ケンゴ」は、呼ぶほどに怒りが増すんですね。そこで言葉には体の力を入れるものと抜くものがあるのだと思い、それについて研究できればと。ところが、高校1年生の時に担任の先生にそのことを伝えると、「そんな研究は国文学でも言語学でも聞いたことがない」と言われました。途方に暮れたのですが、言葉の物理効果のことなのだから、物理を学べば良い!と思い、文系から理系に転向したんです。
学長 なるほど、実は言葉への興味は仕事だけではなく、ご自身の名前そのものがきっかけだったということですね。
黒川 はい、ただ物理はあまりにも難しく、先生も厳しかったですね。
学長 物理は範囲が広いですしね。本学での学生生活はいかがでしたか。
黒川 すごく自由に過ごした4年間でした。共学校に通っていた時は、きっと、男子から見て「いい子に見えたい」と思っていたんです。気が利いて、頭がよくて、ちゃんとしている、といったような。それが奈良女子大に入ると、あらゆる発言が許された。女子トークでお互いに「わかるわかる!」と言いながら、誰も他人の考え方を否定したりしないんです。それで「いい子でいたい」という呪縛が完全に解けましたね。社会に出て情報系の仕事につくと周囲は男性ばかりで、女子大出身の女性は異端でした。そんな中でも、当時同期入社の女性たちが言っていたような「女性は男性の二倍働かなきゃ」という考え方をせずに済んだのは、女子大という環境で学び、「いい子でいたい」という考え方から解放されたおかげだと思います。
学長 奈良に住んでみてどうでしたか。関東と関西では少しギャップを感じるでしょう。
黒川 関西弁はずっと好きで、母が西の人で家の料理もおだしが効いた西日本の味でしたので、外食でも家の味に近いものが食べられるのに感動しました。ただ、コミュニケーションの取り方はやはり東と西での違いに驚くこともありましたね。
学長 では、意外にすんなり馴染まれたんですね。それは良かった。めまぐるしい時代の流れがある一方で、1000年以上前の寺院が文化遺産として残っている奈良で学生時代を過ごされたことを振り返ると、いかがですか。
黒川 変わらないものをすぐそばで見聞きできたのは、本当に大きかったです。物事全体を見る、大局観が培われたといいますか。男性の場合は空間的な視野の大局観になるのですが、女性の脳は時間軸の大局観を形成するんですね。奈良の悠久の流れを知り、少々の変化には動じず、長いスパンで物事を考えられるようになったと思います。今も大学の同窓会総会に顔を出したり、過去には同窓会の役員を務めたりもしましたが、先輩にも後輩にも、奈良女子大のカラーが脈々と受け継がれているのを感じます。奈良のようにとにかく動じない。個性的でいて、とてもまじめ。自己憐憫なんて一切ありません。
 
■後輩たちに期待すること
黒川 おそらく同窓会会長さんだったと記憶しているのですが、卒業式の時に贈られたお話が今も忘れられません。
※1奈良女高師出身の先生方は生徒たちに大変畏れられました。それは、怒るからではありません。とてもユーモアがあり、優しい先生たちなのに、生徒たちは畏れるのです。なぜなら、どんな土砂降りの雨の日も真っ白な足袋を履いて昇降口に立っていらっしゃるからです。懐に白い足袋を入れ、それを履いて1日を始める。この覚悟に女学生たちは畏れを抱きました。その覚悟が、生徒たちを導いたのです。あなたたちは会社に行く時、足袋ではなくストッキングを履くでしょう。ただ、その精神だけはどうぞお持ちになって卒業してください。」このようにおっしゃいました。
学長 いい話ですね。
黒川 後輩の皆さんにもぜひその精神は持っておいてほしいですね。
学長 奈良女子大を受験する後輩たち、奈良女子大から巣立っていく後輩たち、それぞれが自分のキャリアや進路について考えていることと思います。彼女たちに何かアドバイスを。
黒川 まず、受験生の方で理系か文系かと悩んでいる方には、ぜひ理系をお奨めします。文学的素養や教養は社会人になっても身に付ける機会がありますが、基礎数学等はまずありません。将来の仕事が文系的なものであったとしても、理系のセンスがあれば幅が広がります。
学長 ※2佐保会の東京支部で、学生の就職の相談にものっていただいていますね。ありがたいことです。いつもどんなアドバイスをされているのでしょうか。
黒川 脳科学の研究者は、人間の脳を装置として見立てます。人の脳を装置とすると、28年ごとに位相が変わるんです。まず、最初の28年間は入力装置。28歳から55歳までは、脳の神経回路の優先順位をつけるための期間。出力装置として性能が最大になるのが56歳から84歳なんです。つまり、28歳までは自分が何者かを脳がまだ知らないんですね。なので、学生の皆さんには、最初はなるべく厳しい環境に身を置いて、がむしゃらに入力すると良いとお伝えしています。人生は三段ロケットのようなもの。28歳の時に着地した場所から、また次の場所に向かえばいいのです。産休は取れるか、介護休暇は、などと先のことを考えすぎず、短い射程範囲で人生を繋いだほうが結局遠くまで行けます。

■学長から見る奈良女子大のこれから
黒川 私が在学した頃に比べると、時代もずいぶん変わりました。校風や女子大生に代々受け継がれているものがあるとお話ししましたが、変化した部分についてぜひお聞きしたいです。
学長 最近の大きな改組と言えば、理学部を二学科に分けたことでしょうか。数学と物理、どちらを学ぶかを入学後に決められるようになりました。また、生活環境学部は旧家政学部で女子大らしさの一つなので、ここを大きくするべく、文学部と理学部から応用系の学問を引き離して生活環境学部に組み込みました。そして大きくした以上は旧家政学部よりもっと大胆に行こうと。それで今年度からは、大学院に生活工学共同専攻を新設しました。お茶の水女子大学と共同で、生活者の視点で最先端の工学を教育・研究していくと共に、そこからもう一歩進んで面白いものを作って世界制覇を狙います。
黒川 世界制覇ですか?!
黒川伊保子 著書:英雄の書、怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか
(左)『英雄の書』、黒川伊保子著、ポプラ社刊
(右)『怪獣の名はなぜガギグげゴなのか』、黒川伊保子著、新潮新書刊
学長 そうです。女性はそれができるセンスを持っていますから。今まで工学というのは、発電所や飛行機など、ずっと男性脳で作られてきました。しかし生活に必要な品は女性のきめ細やかな感性やアイディアで作った方が良いのです。これまでの「客観の科学」から、これからは女性による「主観の科学」の時代で、先陣を切るのは奈良女子大です。
黒川 同感です。主観を語るのは、実は教育されなければできないことで、それが奈良女子大ではできるんです!
学長 確かにそうですね。どんな時代の流れの中でも独特のゆったり感がある奈良にある女子大という事実。常に時代の最先端にさらされる東京ではそうは行きません。また、これからトップを目指すとなると特に理系は大学院が大切ですが、日本はまだまだリケジョが少ない状況。後輩の支えとなる本学のリケジョにがんばってほしい。そして文学部は、奈良という土地が持つ価値の再発見です。日本の原点、心のど真ん中である奈良。その意味を学問の対象として深堀りしてほしい。奈良を見なければ日本はわからないのです。奈良に眠る人類の英知を探り当て、輸入物ではない日本発の崇高な学問をしたいです。
黒川 確かに、人類の英知を見つけ出さなくては、大学とは言えないですよね。そこで過ごす4年間が人生にとってどんなに大事な4年間になるか。ぜひ奈良女子大学で女性脳を開放させましょう。  

※1奈良女子高等師範学校のこと。奈良女子大学の前身。
※2奈良女子大の同窓会。