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宇佐石清水宮以下縁起

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目録番号199
書名宇佐石清水宮以下縁起
写刊別
冊数2冊
書写(刊行)年代寛正2年(1461)
資料サイズ縦27.0cm×横21.2cm
備考 

 『宇佐石清水宮以下縁起』は、原表紙改装仮綴じで、上下共表紙左題簽に外題「宇佐石清水宮以下縁起」とあり、「大乗院」の墨書識語がある。 上冊内題も「宇佐石清水宮以下縁起」。上下共に「石清水神宮寺/大乗律院常任」の朱印がある。上冊34丁。下冊32丁。目次には一から三十七まであるが、 三十七「石清水宮内殿御装束事」の本文はない。承元四年(1210)の幸清による序文あり。三十一と三十二の間の一行分空白に朱書にて「従此以下検校法印祐清被撰出仍書入之」とあり、 三十二以降は兄祐清が撰出し弟幸清が書き入れたことがわかる。三十六の末に「此間絵図アリ」の墨書書き入れあり、その後に正慶元年(1332)の高野山金剛佛子頼寶の書写識語、 延元三年(当建武五(1338))・康正三年(1457)寛正二年(1461)の転写識語がある。
 生井真理子氏「幸清撰『宇佐石清水宮以下縁起』について―幸清撰・口不足本『諸縁起』を補うもの―」(『同志社国文学』66、2007年3月)によると、 重要文化財となっている石清水八幡宮所蔵文書・記録類中の『宇佐石清水宮以下縁起』は、目次には一から三十七まであるが、内容は一から十九の中途から後が失われている。 『諸縁起』口不足本(『石清水八幡宮史料叢書』二(1976年)に翻刻)は、三の途中から三十六までほぼ同じ記述である。末尾に「石清水八幡宮寶殿図」がある。 『八幡大菩薩示現記』(『石清水八幡宮史料叢書』二に翻刻)の最後尾「八幡宮御縁記」に一から四の本文と同じ順序でほぼ同じ記述がある。
 龍門文庫本上冊は石清水八幡宮所蔵本と同じ所で終わっており、下冊に続きが記されている。すなわち龍門文庫本上冊末尾は、「其聖化誰不受賜其母神功皇/口寛正二年辛巳卯月佛生日誌之」と、 最終丁裏3行目の途中で本文が途切れている。下冊は、1丁表に、「后為討新羅幸於此道長降敵國毎年/進八十艘調庸舟」とのみ記され 「石清水神宮寺/大乗律院常任」「龍門文庫」の朱印がある。2丁表に改めて、「后為討新羅幸於此道長降敵國毎年/進八十艘調(ママ・庸か)三韓ミヒロ(朱)入貢百済クタラ(朱)来朝/(後略)」と記されている。 丁の終わりでもないのに、神功皇后の新羅征討の記事(『日本書紀』神功皇后 仲哀天皇九年十月に詳しい記述あり)の途中、しかも神功皇后の名の途中で上冊を終えていることから、この箇所が丁の末尾・上冊の終わりになっていた親本があったと考えられる。


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