* 誰故にみたれそめし我にあらず。そなた故こそみだれそめぬれと云
  心也。其心を今女の返しに用れば合ざる程に心を用ひかへてとの返歌に
  する也。そなたに忍ぶのみだれ限りしられずといへるは、誰ゆへにてあるらん
  我ならなくにとは我ゆへには有まじきと也。玄肖同義といふ歌の心そへは
  玄返歌の心を用かへたるをいふ清同肖同義いちはやきは玄早速也卒に歌を書
  てやり卒に返事をするをいふ清同みやび肖情をかはす心也。玄みやびをか
  はすなどいひて優艶に懸想ずるをいふ。下略清同義勘物ニ於在中将非幾ノ
  先達ニ如何玄業平融公を先達として其歌をとりてよむべき人にあ
  らすといふ心也。たゞ其頃の事なれば、女の返事と見すべきゆへにかけるにや
  云々清同師此勘物の御注はそのかみも此融の歌を春日野の本歌と
  いふ義有しゆへ其義如何と定家卿の書給へるにやと也。といふうたの心はへ
  也なといふ詞につきては愚見の御説さもあるべき歟。我ども当流の御説
  めづらかにあそばしけり是感慨あり。所詮学者の所好にしたがふへし*
二むかしおとこありけり。ならの京は
はなれ、此京は人のいへまださたまら
ざりける時に、にしの京に女有けり
*ならの京ははなれ
  玄奈良の京をこの
  京へうつさるゝ時に
  まづ西京を開きて
  後に東京をひらけり。
  さるほとに本京*
* にはまだ人の家居も定まらぬなるべしや。桓武天皇延暦三年土日に
  山城国乙訓郡長岡に都を開れてうつさるゝ也。同十三年に此平安城
  にうつさるゝ也。此女誰ともなし。古註二条后を云不用肖清同一同義*
   (よのひと)(容儀まさりしと也)
その女世人にはまされりけり。其ひと
かたちよりは心なんまさりたりける。
(玄ぬしある人也師主ある女子物いひし事憚りあればけらしと書てはあるに)
ひとりのみもあらざりけりけらし。それを
(おとしつけざるかきやう也)
かのまめおとこうち物がたらひてかへ
りきていかゞおもひけん。ときはやよひ
         (玄点) (此歌をやりし也)
のついたち雨そふるにやりける
*世人玄定家卿自筆にも
  古本にも世人あり。
  然ども後宇多院の
  御諱世仁と申せし
  より、世の人との文字
  を入てよむるとなれり。
  五経に国人をくにたみ
  とよむも後嵯峨院の御諱なればなるへし
 其人かたちよりは心なん
  清世人にはまさると先
  容儀たいそいをほめて、かたちより心まさるといふは、世に勝れたるひとと聞えたり
 まめおとこ真名伊勢物語に歛夫と書玄まめは実の字也。好色は実人にあるまじけれど
  も、業平の自記なればかく書にや。師主ある人に物いひしをかくさんとて態実人と云也
 うち物がたらひて一物語うつしてと云心也師是も已に逢語ると云よりは心したる詞也
 いかゞおもひけん師心をあやにくにかけたりともいはで、何とか思けん此歌をやりしと書