八十
      (玄業平のわか家と卑下していふ也)
むかしおとろへたる家にふぢの花うへ
たる人ありけり。やよひのつがもりに
その日雨そほぶるに人のもとへおりて
(肖誰かかたへともなし)(玄業平のうた也)
たてまつらすとてよめる

(古今)
 ぬれつゝぞしゐておりつる年の内に
  はるはいくかもあらじとおもへば
八十一
むかし左のおほいまうちきみいまぞか
  (玄賀茂河末まても流あれは六条まてもかも河といふへし)
りけり。かも河のほとりに六条わたりに
家をいとおもしろくつくりてしみ給ひ
けり。神奈月のつごもりがた、きくの花
(玄紅なとにうつろひ又さかりなるもあるをいふ也)
うつろひさかりなるにもみちのち
* ぬれつゝぞ祇しゐて打つ
   るとは花をも春の限り
   をし賞ずる心也。年の内
   とは一年中の事也。雨をも
   共をもいはざる所昔の
   歌の習ひ也清雨をば
   ぬれてといひ散をばしゐて
   おりつるといひて、雨とも散ともゝえざるは詞書にゆづりて、やよひの晦かを春は
   けふのみとよみては曲なし。春はいくかもあらじといへる花雨くし
  左のおほいまうちきみ
   勘物源融嵯峨第十二
   源氏、はは正五位下大原全子
   貞観十四年八月廿五日
   左大臣元大納言五十一
   仁和三年従一位寛平
   元年輩車。七年八
   月薨七十三
  家をいと面白く玄河原院 *
(玄色ゝにうすくこき体也)
くさに見ゆるおり、みこたちおはしま
させて、夜ひとよさけのみしあそひて
夜あけもてゆくほとに、このとのゝおも
しろきをほむるうたよむ。そこにあり
        (いたイ)
けるかたゐおきな、たいじきもしたに
                    (肖卑下のよし也)
はいありきて、人にみなよませはてゝ
よめる
 しほがまにいつかきにけむあきなぎに
 つりする舟はこゝによらなむ
*  是也肖同河原左大臣
   六条河原にいみじき家
   作りて他をほり水を
   たゝへ毎月に潮を卅石
   ばかり運ひ入て、海底
   の魚貝をすかしめ
   たり。陸奥国塩竃の
   浦を移して海士の塩
   屋に煙をたてゝ翫
   れけるとなむ東六条
   院といふ所也玄河原
   院賦他放鯨鯢山
   住虎狼葉錦快水
   鴛鴦副色本朝文粋同
   所を水冷池無三伏反
   松高風有一声秋朗詠にのせてさり、河原院の事は歌にもおほくよめり。
  かたゐおきな師順和名乞児加太云々これ乞食の事也。土佐日記に此かぢ
   とりは日もえはからぬかたゐ成けり。大和物語にかたゐのやうなる姿云々。其外あ
   またあり。しかれば此詞も乞児翁台敷の下にはひありきてと戯言哉。是を
   一禅の愚見抄には佳体義也国史に体貌閑麗なる申しる世事故也云々如何惟清肖*