「奈良女子大学叢書」を創刊しました(本のタイトル『奈良女子高等師範学校とアジアの留学生』)

 

  「奈良女子大学叢書」創刊の辞

 大学改革の大合唱が始まって20年も経ったでしょうか。一向に収まりそうにありません。昔大学のキャンパスでよく聞かれた言葉に「永久革命」という言葉がありますが、今や「永久改革」が日本の大学には求められています。一つの改革が終われば、その成果を見極める間もなく、次の改革の必要が語られる。トロツキーやゲバラが生きていたら、今ここにこそ理想郷があると思ったかも知れません。しかしその理想郷は大学的でなく、疎水べり(哲学の道)の散策を楽しみながら哲学的思索に耽った西田幾多郎のような学者を育む余裕はどんどん失われてきています。そこで学び、研究されることが、実用的であればある程尊ばれる、大学らしからぬ雰囲気が、勢いを増してきています。
 大学は実用性を第一義としてはなりません。それよりも真理追求を第一義としてあるべきです。だから「公立」であることが似合っているのです。今なおこの国で国公立大学がそれなりの知的権威を保てているのもそれ故です。その国公立大学を改革するのに、ただ実用的であれというのはやはり向いている方向が違います。
 そこで思い起こされるのは、我が奈良女子大学の前身、奈良女子高等師範学校が誕生した時代です。それは、幕末以来の高等教育の伝統を継ぎ、「洋学」輸入とその日本への「応用」の拠点と化してきた帝国大学を、世界レベルの本格的な研究大学、即ち「翻訳」の妙よりも「研究」の独創性を競う大学に作り替えようとする動きが、初めて顕在化した時でした。中心にいたのは、文部次官まで務め、初代東北帝大総長に就任し、その後京都帝大総長に転じた澤柳政太郎でした。今でも東北大学の方針が「研究第一」であることに示されているように、彼は日本の大学に、何を措いてもまず独創的な研究の場であれと求めたのです。これこそ、我が国最初の大学改革の秋でした。
  
 この改革の秋は、重要な落とし物を、後世に残しました。それが女子高等教育です。澤柳は東北帝大総長に就任するや、東北帝大への女子の入学を許可しました。それとほぼ同時に、女子の高等教育機関、奈良女子高等師範学校が産声を上げたのです。ともすれば職業教育化し易い男子高等教育に比して、純学理的であり続け得ることを期待されての船出でした。
  今我々に求められている改革は、澤柳のやろうとした改革とは、意図してかせざるか、逆のベクトルを持つ改革です。「実用的であれ」が合い言葉の改革です。だからこそ、女子大学たる本学ぐらいは、他の多くの大学が押し流されていく方向とは逆の、独創的研究の場たる本来の大学の実現を目指さなくてはならないのではないか。澤柳の遺志は受け継がれなくてはなりません。それを目指し、この国の大学の「永久改革」を、気がついてみれば稔りあるものにしておくこと、それが日露戦後の第一次大学改革の時代に生を受けた奈良女子大学の歴史的使命です。
  ならばそこで生まれる独創的な研究を公表する場も、同時に産み、育てておかなくてはなりません。この「奈良女子大学叢書」も、そのような場の一つとして用意しました。今後この場が、本学の教員や学生の独創的な研究の公表の場として大いに発展していくことを夢見て、ここに叢書第一冊目を世に贈ります。                         

奈良女子大学副学長 小路田 泰直



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