緊迫した場面でホームランを放つ打者。百分の一秒の差でゴールを駆け抜ける短距離走の選手。アスリートは磨き上げたそのパフォーマンスで私たちを驚かせます。彼らは卓越したその技術をどのようにして習得したのでしょうか。その秘密に迫りたいと思ったのが、私の研究の出発点です。
パフォーマンスを向上させるうえで欠かせないのが、「コツを掴む」こと。競技上の課題に向き合い、試行錯誤を繰り返すなかで掴んだ動きの感覚は、そのアスリートを一段高いレベルに引き上げます。近年は科学的なトレーニング法が普及し、身体のメカニズムの面から動きにアプローチする研究も盛んですが、私が注目しているのは「コツの獲得」と「心の成長」の関係です。
競技の上達に「心の成長」が関係するというと、古臭い精神論と思われるかもしれません。しかし、武道の世界には「心技体」という言葉があるように、古くから身体の鍛錬と心の成長を関連づける考え方は存在しています。私自身、大学まで野球部の選手として「どうすればもっとうまくなるのか」ばかり考えるなかで、「パフォーマンスを左右するのは、最終的には気持ちではないか」と感じていました。
では、アスリートが選手として成長する過程で、心には具体的にどんな変化が生じているのか。その関係を紐解くべく、インタビューにもとづく質的研究に取り組んでいます。
インタビューするのは、国際大会で活躍するようなトップクラスのアスリート。ジャンルは絞らず、幅広い競技のアスリートにコツを掴んだ経験を振り返ってもらい、そのときの感覚や考えていたことなどを聞き取ります。インタビューの結果から見えてきたのは、どうやらコツを獲得する過程で、アスリートはそれまでの価値観がガラッと変わるような内面の変化を経験していることでした。
大きな変化の一つは、「自分の軸」ができるという成長です。具体的には、試行錯誤して練習するなかで主体的に取り組む姿勢が身についたり、自分だけの武器を獲得することで自信を得たりするといった変化を経験していることがわかりました。また、軸ができて自分自身にブレがなくなることで、他の人や環境にも意識を向ける視野の広さも身についているのではないかと考えています。
コツを掴むという経験の全貌を理解するには、その前後で生じる心理的な変化のプロセスを丁寧に追うことが重要です。私の研究では、質的なデータであるアスリートの語りをもとに、現象を的確に説明できる概念を見出し、その概念同士の関係性を検討する方法論を活用して、コツを獲得するプロセスをモデル化しています(図)。[▶︎関連論文]
たとえば、アスリートが自身の競技観を問い直しはじめるのは、コツを獲得する予兆です。課題を感じ、変化を希求するからこそ、これまでの自分の体の動かし方や感覚を見つめ直すようになる。今後は長期的にアスリートの変化を追うことで、こうした変容のプロセスをさらに詳細に確かめていく必要があると考えています。
インタビュー以外にもよく研究のヒントを探すのが、トップアスリートの自伝です。博士論文では、世界のホームラン王として知られる元プロ野球選手・王貞治さんの自伝を取り上げました。コツをどう言語化しているかという点でも参考になりますが、ポイントは共感的に読むこと。この人はどんな気持ちで、どんな経験を経て高いパフォーマンスができるようになったのか。そのアスリートになったつもりで、心情を想像しながら読み解いています。
私は理論に関する研究以外に、悩みを抱えるアスリートに寄り添い、ともに課題解決をめざすスポーツカウンセリングの実践にも携わっています。スポーツカウンセリングの魅力は、心理支援をとおしてパフォーマンスの発揮に貢献できること。アスリートにとっては「競技でよい結果を残したい」というのが何よりの願い。アスリートの自己実現に貢献できるよう活動しています。
これから挑戦したいのが、カウンセリングをとおしてコツを掴むサポートをすること。これまでコツを獲得するに至るプロセスを理論的に探究してきましたが、その知見を活かせば、コツを掴むことを手助けできるのではないか。そのためにも、たとえば事例研究のような、研究と実践、理論と現場とがダイレクトにつながる研究に取り組みたいと考えています。
私の研究は主にアスリートを対象としていますが、身体とともに生きているのは何もアスリートに限りません。子どもには子どもの、老人には老人の体の動かし方があります。現代は科学技術が発展していて、どうしても道具に頼って身体が疎かになりがち。私の研究が身体を感じながら生きる重要性を考えるきっかけになればうれしいですね。
[ ▶︎関連論文「『能の極意』獲得過程に伴う個性化過程の検討 : 世阿弥の伝記分析を通して」 ]
奈良には、プロサッカークラブの奈良クラブやプロバスケットボールチームのバンビシャス奈良があり、スポーツ健康科学コースとしても地域との連携が進められています。運動やスポーツの研究課題は実践現場から生まれ、その知見は現場に還元されていく必要がある。こうした取り組みをとおして、私の研究も地域に貢献できればと考えています。
「この研究について知りたい」と思ったときに、簡単に論文にアクセスできるのはとてもよいことだと思います。ただ、私の研究分野の性格上、インタビューに協力してくれた方や対象事例の個人情報を徹底して守る必要があり、誰にでもオープンにすることには懸念もあります。今後さらにスポーツの現場に深く入り込んで研究を展開するうえでも、この点は難しい問題だと感じています。
オープンアクセスで読める論文: