歳を重ねるにつれて、病気や加齢の影響で日常生活に制約が生じたり、体を動かすと痛みを感じたりすることがあります。その結果、これまでの暮らしがむずかしくなることも少なくありません。近年、関心が高まっているQOL(クオリティ・オブ・ライフ)とは、医療において、病気などがあっても、その人が満足あるいは納得して快適な生活を送れるように、「生活の質」を高めることをめざす考え方です。
そのなかで高齢者のQOLに大きな影響を与えるのが転倒です。転倒によって骨折や頭部外傷などの大けがをすると要介護状態につながりやすいため、「健康寿命」の延伸には転倒をいかに防ぐのかが重要な課題です。現在、多くの自治体では、運動教室を開くなどの転倒予防策を積極的に進めています。
しかし、転倒リスクの要因である、筋力や体のバランス能力、さらには歩き方について簡便に測る方法がないため、個人の身体機能のどこに問題があるかを適切に把握するのが困難でした。(「転倒するのが怖い」と感じることで外出を控え、身体機能がさらに低下してしまうこともあります)。
このような問題を解決するために、まずは自分の歩行状態を把握することが大切ではないかと考え、インソール型の歩行センシングシステムを開発しました。
インソールには、足底の圧力を計測する7つのセンサーが内蔵されています。人間の骨格構造に基づいた設計で、日常的に計測できることが特徴です。計測データはコンピュータやスマートフォンに送られ、その場ですぐに確認できます。「ここの指がつかえていないから、こう歩いてみよう」、「ここに力がかかっているから、歩くと脚が痛いのかも」など、介護・福祉・健康施設での運動指導士さんによるトレーニングにも活用されています。[▶︎関連論文]
特徴はなんといっても、どこでもだれでもつかえる手軽さ。インソールを入れる靴も選びません。特別な動きも不要で、数メートル歩くだけで測定できるため、実験室や大きな病院に行かなくても、自宅やふだんから通う介護・福祉施設などで計測できます。
これまでに約2,000人の高齢者の歩行データを計測しました。これらのデータを生かして機械学習をもちいた分析モデルの構築も進めています。歩き方から転倒リスクや身体的虚弱度を分類したり、さまざまな疾患と歩き方との関連性を調査したりすることで、ニーズに応じた情報をフィードバックできるようなプラットフォームの開発もめざしています。[▶︎関連論文]
データから生まれたサービスのひとつが、働きざかりの女性をターゲットにしたスマートフォン・アプリ「BELLESTEP」。独自の解析技術で、歩行リズムや歩行バランス、「歩き方の美しさ」の3項目で歩行を点数化するものです。「足腰を鍛えよう」といってもなかなか若い人たちには訴求しづらいのですが、「美しさ」という切り口で提供することで、歩き方に関心をもってほしい。結果的に、この取り組みが将来の健康な足腰づくりにつながることを期待しています。
インソール型センシングシステムは、製品化に向けて動きだしています。私たちの研究室では、ほかにもいろいろなセンシング・システムの開発を進めています。肌着に取り付けたセンサーで呼吸の状態を測ったり、女性のアンダーウェアにセンサーを取り付けて、女性特有の疾患のケアや健康管理につないだり、患者さんや現場の期待、需要をくみとりながら、アイデアを形にしています。[▶︎関連論文[1]][▶︎関連論文[2]]
医療情報を学んでいた大学時代、見学に訪れた難病施設での出会いが転機でした。筋肉の疾患で手指しか動かせない患者さんのために、情報機器の担当者がマウスをカスタマイズされていたのです。マウスをつかって、患者さんは絵を描いたり、描いた絵を販売したり。現場での支援がQOLや意欲の向上につながるのを目の当たりにして、「私も現場で役にたてるものをつくりたい」と工学の道にシフト・チェンジしました。
この研究をはじめて、すでに十数年。開発当初は、センサーの故障や断線、自作のソフトウェアの不具合など、うまくいかないことの連続でした。そんななかでも、この挑戦に期待してくれる運動指導士さんたちに助けられました。実際の医療・福祉の現場でこのインソールをつかって運動指導し、膝が痛くて正座できなかった方が3か月後に正座できるようになったと、喜びの声をいただいたことも。「だから膝が痛かったのか!」と、計測したご本人の納得にもつながって、運動への意欲が高まる好循環が生まれています。
喜びの声は、私の元気の源です。これからも現場でがんばる人たちに貢献できるものづくりをつづけたいです。
私の研究には、現場や対象者の方々との信頼関係が不可欠です。自治体の担当者や専門家の方々と密に連携し、靴の履き心地や所要時間などを考慮し、負担の少ない計測を心掛けています。事前に現場の理解が得られるように、必要に応じて試作サンプルを作成し、実際に試してもらうこともあります。計測後はデータをお返しし、健康維持に役立てられるようフィードバックをするなど、より良い健康支援ができるよう努めています。
先行研究や論文にアクセスしやすくなり、図書館で文献を2週間かけて取り寄せることも減りました。うまく活用できれば、研究の加速につながるいっぽうで、アクセスできる情報が多いゆえに、情報を見極める力の重要性が高まっているのも感じます。