トヨタ自動車株式会社
先進技術開発カンパニー
(Executive Vice President)
東富士研究所(所長)兼務
―― なぜ、奈良女子大学を選ばれましたか?
衣食住に関連する食品化学に興味をもったのが奈良女を知ったきっかけです。
両親は自宅から通える範囲の大学に行くことを望んでおり、進学で下宿することに対して大反対だったのですが、偶然、父の同世代の知人に奈良女出身の素敵な方がいらっしゃったおかげで「奈良女だったら」ということで許してもらいました。女子大として素晴らしい歴史がありましたし、奈良という場所で暮らすことへの憧れと好奇心、そして多くの立派な先輩方がいらっしゃるところも魅力的でした。
―― 奈良女で学んだことが今に生かされていると感じられるのはどんな時でしょうか?
家政学部被服学科で被服管理学講座(界面化学)を専攻しましたが、学生時代は被服を軸として他にも高分子物理学、生理学、防虫科学のような理系の分野に加え、意匠学、色彩学、文化人類学や服装史といった専門の先生方から学際的な環境下でご指導いただきました。そういった経験がもしかすると物事を多角的に捉える素地になっていたり、新しい分野に取り掛かるときの心理的ハードルを低くする助けになっていたりするのかもしれません。
もちろん界面化学自体も、自動車に応用されている一般的な例として粘着・接着、塗装などがあり、同じ田川美恵子先生の研究室の先輩は塗料開発に携わられていましたし、私自身も入社当初粘着フィルムを担当していました。
―― 奈良女を卒業して就職先になぜトヨタ自動車を選ばれたのですか?
地元愛知県に戻って就職するという両親との約束があったこと、同じ学科の先輩方が数名就職されていることを聞いて親しみを持てたこと、そして好きな実験を続けられて「自動車メーカーでの技術開発」という未知の世界で一端を担えることに対する好奇心、この3点でしょうか。
―― チーフエンジニアとはどのような役割ですか?
チーフエンジニア(CE)とは担当するクルマについてどういうお客様にどんな価値を提供したいかというコンセプトを考えるところから、企画、開発、生産準備、お客様へ商品のご説明をするまでの長期間、“CE付き“と呼ばれる数人のスタッフと共に開発をリードし、全プロセスをマネージメントする開発責任者です。クルマづくりは、設計、性能開発、生産技術、製造、広報、営業といった様々な部門から集結した各専門領域の担当者総勢数百名が関わる大変大きなプロジェクトで、CEはその”オーケストラの指揮者“に例えられることもあります。
CEは大抵クルマ開発の屋台骨となる設計部署や性能開発部署の出身者がなることが一般的でしたから、材料技術出身の自分がCEになることは全く想像すらしていませんでした。
私も、もしベルギーに駐在していなかったらCEになることはなかったと思います。
―― ベルギーではどのようなお仕事をされていましたか?
駐在したベルギーでは材料のエンジニアとして技術リサーチ、欧州生産車の材料や部品開発に携わる現地メンバーのサポートがメイン業務でした。
その頃、「インテリアの商品力向上」というテーマで、材料という枠を超えた視点で仕事をするチャンスを与えられました。欧州人がインテリアに何を求めているかを調査し、それを具現化するための組織やプロセスの在り方を提案しました。残念ながらそれについては却下されましたが(笑)、組織がだめならと欧州でも生産しているYarisという小型車で何をすべきかの具体策を組織横断チームを組んで提案しました。
そういった仕事を通じてそれまで関わることのなかったマーケティングや性能開発、そして後に異動することになった製品企画といった「クルマ開発」のメンバーと一緒にチームで仕事をする醍醐味を味わい、結果的にCEに対して提案をする初めての接点を作ることも出来ました。
インテリアの商品力を競合他社と比較する上で、感性工学の考え方を取り入れたことが当時新鮮なアプローチとして耳を傾けてもらえるきっかけになったと思います。
―― 感性工学を採用しようと思われたきっかけはどういったことでしょうか。
新たなクルマを企画、開発する際には様々な性能や機能に対して競合他車と比較の上で数値目標を立て、達成手法を考えて設計、試作し確認評価をするというのが一般的な進め方です。
当時「インテリアの商品力」についても同様に数値化していました。インパネ、シート、天井といった部品一つ一つの商品力を競合他社と客観的に比較できるように素材の種類、装備の有無や収納容量といった項目に分解して“採点表“にし、数百にものぼる項目に重みづけをした上で合計したものです。
ところが、この方法で点数の高いインテリアが欧州人に必ずしも評価されていない、感覚と合わない結果が出てくる場合があるという問題提起がされていました。
採点表に欧州人の着眼点が不足しているというマーケティング部署の指摘もあり、ある具体的な項目の追加検討する担当に指名されました。そこで、採点項目を増やす前に、「そもそもお客様が何を見て良し悪しを判断しているのか」を調べたいと思いました。
対象物の印象を評価する方法を調査する中で、感性工学という分野があることを知り、ショールームに見立てた空間で実際のクルマを使ったパネル評価を始めました。調べた文献の中で最も参考にさせていただいた論文のひとつが奈良女の先輩、西藤栄子先生の書かれたものであったことにも大変勇気づけられました。
―― 感性工学を用いられて気づかれたことは何かございますか。
当時の評価結果では、日本人はコンソールボックスやラゲージルームに代表されるような物入れの容量や使い勝手、「電動式○○」といったような機能に注目する一方で、欧州人はインテリア全体を見たときの「仕立ての良さ」や「まとまりの良さ」を素材感の連続性やデザインモチーフなどの一貫性といったことで判断する傾向が強い、という大きな違いがあることがわかりました。
素材感は素材そのもののもつ風合い、プラスチックであっても色や艶、“シボ”と呼ばれる表面の細かい凹凸で表現されますが、欧州人の中にはその個々の良し悪しはもちろんのこと、隣り合う部品のコントラストの度合いとか面積比というようなことに対する審美眼を持つ人も少なからずいて、加飾や素材の種類が多すぎることを嫌う傾向があることも分かりました。
また、昨今では日本車でも合わせる気遣いをしていますが、スイッチ、メーター、ナビゲーションシステムの表示のフォントの種類がわずかでも違っていることが苦になると、当時は随分指摘されました。
―― なぜそのような違いが生まれるのだと思いましたか?
欧州と日本の街並みの違いを思い浮かべてみて下さい。日本でも外観がコントロールされている地域はありますが、ベルギー駐在中に、オリジナルのレンガの壁1枚を残して3階建ての建物を解体している現場を見たことがあります。地震がないこともあってか、そもそも建物を解体して一から作り直すよりはリノベーションが一般的で年代を経た味のある建物を活かして、インテリアを自らコーディネートすることを日常的に楽しんでいる人が多く、そういった中で審美眼が養われているのかもしれないと当時思いました。
先程のフォントの話に戻りますと、日本では漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットというように多様な文字が一行に混在していることに慣れ親しみ、許容して日々生活しています。一方で欧州では基本的にアルファベットだけを目にしているので、フォントの微妙な違いにとても敏感なのだと解釈しました。
現在は日本でもフォントのもつイメージが重要視されていますし、古民家の良さが見直され、リノベーションを楽しむ人も増えてきています。感性は経験によって変化していくというのも私にとって発見でした。
―― ベルギー駐在中、これは忘れられないと思うような交流の思い出はございますか?
欧州人の感性に合うとはどういうことか。インテリアを基本的な造形を変えずに実車を仕立て直すことで表現し、日本の皆さんに見てもらうというプロジェクトを任されました。そのために現地で社外のデザイナーを探すように言われました。
私にはそのようなネットワークもなく一瞬途方に暮れましたが、ふとある仏自動車メーカーのインテリアデザイナー(当時ディレクターという肩書でした)の記事を思い出しました。内容に感銘を受け、「いつかこういう人と仕事をしてみたい」とスクラップしていた1年前の記事を持って、その仏メーカー出身の役員オフィスを訪れました。もちろん“ダメもと”で。
「この方ご存知ないですか?」
「あぁ彼女なら昨日このオフィスに来てたよ」
昨日...ここに...?! 鳥肌が立ちました。偶然そのデザイナーが仏メーカーからトヨタへの移籍を次のキャリアの候補のひとつとして考えていたタイミングだったのです。
その後、ご本人を自分で“口説いて”来るように言われ、ひとりパリに向かいました。凱旋門の少し北にあるホテルのラウンジで顔合わせをしたのですが、私は緊張のあまり名刺交換もせずにいきなりプレゼンテーションを始めてしまったほどです。その様子に彼女も驚いたとは思いますが、ようやく落ち着いて話していくうちに共感できる点がたくさんあることがわかり、その日のうちに意気投合しました。
彼女はその後トヨタのベルギーにある、当時私がいた拠点で感性の分野をリードして下さいました。未だに良き先輩、良き友人としてずっとお付き合いが続いています。
―― 今までの経験から、これから必要になることはどのようなことだと思われますか。
一言で申し上げると、「多様性」だと思います。
フランスでは当時からダブルディグリーといい、異なる分野の学問を学び、2つの学位を取得する学生が普通にいたようです。
先程のデザイナー、キャロルの記事の中にも「デザインと材料両方の勉強をした人材がいることで、新しい意匠表現が可能になる」とあり、当時もなるほどと思いました。
早稲田大学大学院の入山章栄先生のご講演を聴く機会がありました。ご存知の方も多いかもしれませんが、経営学の先生です。これからは「イントラパーソナル・ダイバーシティ」つまり、「一人の中に幅広い多様性を持つ」ことによって、世の中の急速な変化への対応が出来、新しい価値を生み出せる可能性が高くなるということをおっしゃっていました。
世の中のあらゆる企業が、イノベーションを求めてアライアンスを組んで仲間づくりをしているのも、異質なもの、得意分野を組み合わせて新しい価値を創出することを企業単位で狙っているからですよね。
―― 今後挑戦されたいお仕事について教えてください。
優れた技術と技術、人と人、ハードとソフトを結び付けて社会のお役に立てるモノづくり、コトづくりをしていくことが求められる中で、自分が出来ることを探しているところです。自分が上司に様々な場面でチャンスを与えてもらい、一緒に働く仲間に助けてもらった感謝の気持ちを、今度は自分が背中を押し、サポートすることでまずはご恩返ししたいと思っています。
―― 後輩に向けてエールをお願い致します。
皆さんには無限の可能性があります。自分の限界を自分で決めずに何事もおおらかにチャレンジしていただけたらと思います。
私も「将来海外で仕事をしてみたい」という学生時代にぼんやりと考えていたことも現実になりましたし、「内装のトータルコーディネーターのような仕事をしたい」という20代の頃の希望もCEになるという形で叶いました。
志を持って努力していると目の前のチャンスに気付くことが出来ますし、ゴールを共感できると助けてくれる上司や仲間が現れます。今すぐ明確な将来像を持つことは難しいかも知れないですが、自分のやりたいことを探して常に持っていることで、そこに近づくための道がみえるはずです。
取材日:2020.02.20

人間文化総合科学研究科
博士前期課程
数物科学専攻
中根 明日香さん
今回の取材では奈良の地で、どのように加古様の感性が育まれたかについて貴重なお話を伺うことができました。同じ学び舎で過ごせることを誇りに思うとともに大学、人生の先輩からの教えとして今後の指針の糧にしていきたいと思います。