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高津柿本神社

 高津柿本神社は、島根県益田市高津町に鎮座する旧県社で、丸山の東に張り出した尾根筋の鴨山(高角山)山頂に位置する。 祭神は柿本人麿命(正一位柿本大明神)。歌聖柿本人麿の霊を祀る当社は、地元では「人丸神社」「人丸さん」とも呼ばれ、 歌道を始めとする学問や農業、殖産の神として崇敬されるほか、「人丸」を「火止まる」や「人産まる」と解して、 火防や安産の神としても崇敬されている。
 晩年に国司として石見国に赴任した柿本人麿が、和銅年間頃に「鴨山の磐根し枕ける我をかも知らにと妹が待ちつつあらむ」 (『万葉集』巻二・223)の辞世の歌を詠んで高津川・益田川の沖合にあった鴨島に没したので、 神亀年間にその霊を祀るために石見国司が聖武天皇の勅命を受けて鴨島に人丸社を創祀したのに創まるといい、 また天平年間には人丸寺も建立したという。
 万寿三(1026)年、地震とそれに伴う大津波で鴨島とともに海中に没したが、神像は高津の松崎に流れ着いたため、 その地に社殿と別当寺としての人丸寺が再建された。更に延宝九(1681)年(天和元年とも)、 風水難を案じた津和野藩主亀井茲親によって高津城のあった現在地に移築された。
 同じ頃、都にあっては霊元上皇が古今伝授に際して祈祷を命じたり、後に宸筆の御製歌を奉納したりと和歌の神として崇敬し、 享保八(1723)年、柿本人麿の一千年祭と称して「柿本大明神」の神号と正一位の神階が宣下された。 また現地にあっても一千年祭を斎行するとともに、別当人丸寺を真福寺と改称している。以後歴代天皇を始め親王や公卿等の間で 特別に法楽を営んで和歌短冊を奉納、歌道の上達を願う風が流行する。
 慶応元(1865)年に真福寺を廃して社号を「柿本神社」に改め、近代社格制度では県社に列した。
 本殿は正徳二(1712)年の造替にかかり、方三間朱塗りの単層入母屋造妻入で、屋根は檜皮葺。 内陣に須弥壇を構えて等身大の人麿神像を安置する。
 昭和五十七(1982)年6月18日に島根県の有形文化財(建造物)に指定された。

  絵画資料
軸物 人麻呂像(伝狩野永叔筆) ほか
  文書資料
八雲神詠口决・和歌三神口决 和歌三神伝
慈延 奉納三百首和歌 水田長隣 奉納百首和歌
柿葉集 奉納高角山柿本社頭三百首和歌
柿本大明神社奉納和歌 霊元天皇他奉納和歌五十首
桜町天皇他奉納和歌五十首 桃園天皇他奉納和歌五十首
後桜町天皇他奉納和歌五十首 光格天皇・後桜町上皇他奉納和歌五十首
仁孝天皇他奉納和歌五十首 宣命 位記 官符、ならびに写
冷泉為村百首和歌 冷泉為村五十首和歌
冷泉為村十五首和歌 冷泉為村五首和歌





高津柿本神社のご案内
住所 島根県益田市高津町上市イ2616-1
交通 JR益田駅から車 7分
駐車場 約70台(無料)
お問い合せ 0856-22-0756 (高津柿本神社)


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