センター長の挨拶
共生科学研究センター長 酒井 敦

 この度、大石正、古川昭雄、和田恵次、高田将志、保智己の歴代センター長に続き、2020年10月1日付で6代目の共生科学研究センター長に就任いたしました。私の奈良女子大学への赴任は1999年4月。ちょうど大石、古川の初代/第2代センター長をはじめとするメンバーが、本学初の省令研究施設となる本センター設立に向けて準備を進めている頃でした。私は、初代/第2代センター長と同じ学科・分野の所属であったことから、こうした準備作業をごく近くで拝見し、また、設立間もないセンターが主催する野外体験教室に参加・協力する機会もありました。その当時は(当然ながら)自分がセンター長になろうなどとは思ってもみませんでしたが、この度、思いがけずセンター長を拝命することとなりました。歴代のセンター長やメンバーの築き上げてきた実績と伝統を引き継ぎ、発展させるべく精進して参ります。どうぞよろしくお願いいたします。

 本センターの名称にも含まれている「共生」という日本語には様々な意味があります。多くの事典・辞書では、生物科学における専門用語としての「共生」、すなわち「異なる種類の生物が相互に関係を持ちつつ、同所的に生活する現象」が真っ先に紹介・解説されています。それは、1888年に植物学者の三好学がその論文中で“Symbiosis” の訳語として使用したものです。しかし、「共生」は読んで字のごとく「共に生きること」という意味を表すことから、現代日本においては「障がい者との共生」、「多文化共生」、「共生社会」、「自然との共生」など、様々な分野において幅広く用いられる用語となっています。そうした社会・文化的な意味での「共生」という言葉、概念のルーツについては、仏教 ―特に浄土宗僧侶であり教育・政治の面でも活躍した椎尾辨匡(しいお べんきょう)が1922年に開始した「共生運動」― に求める向きもあるようです(山口 1997、学術の動向 1997年1月号)。このように様々な意味を含むにも関わらず、日本語の「共生」は「共に生きる/存在すること」という広い枠組みの中に様々な対象を無理なく収めているように思われます。

 共生科学研究センターは「日本列島の中心付近に位置し多様な自然環境に恵まれた紀伊半島を主な対象地域として、共生循環型社会を創生する科学、すなわち「共生科学」の研究を行い、その成果に基づいて自然環境と共存できる人間活動のあり方について広く提言を行う」ことを目指しています。本センターの英語名称は “KYOUSEI Science Center for Life and Nature” となっており、「共生」の英訳として日本語の発音そのままの“KYOUSEI”をあてております。これは本センター設立時にメンバーが熟議の末決定したもので、「生物科学分野における“共生”だけではなく、文化的・社会的・哲学的な側面も含めたより広い意味での “共生” を研究する」という意思と理念を反映しています。この理念に基づき、本センターには本学内の人文科学系、自然科学系、生活環境科学系のすべてから、また学外からも、様々な分野の研究者が参画しており、それぞれの専門知識や技術を活かしつつ融合的・学際的な研究を行っています。また、次の時代を担う子供たちを対象とする野外体験実習や、奈良県内各所で開催される一般市民を対象とするシンポジウムなども積極的に行い、共生科学研究の成果や理念の公開・普及に努めて参りました。本センターでは今後もこうしたオープンで相互に刺激をもたらすような活動を、それ自身「共生」の理念に従った形で継続的に実践し、その役割を果たしていきたいと思っております。引き続き、本センターの活動に対するご理解とご支援を頂けますよう、お願いいたします。

 

センターの理念と目指すところ
  本センターは、人間社会と自然環境の共生のための科学-共生科学-を通して、自然の保全と再生に資する研究を進めることを目的としています。現在、地球上では人間活動の急激な増大に伴う大量消費、大量生産、大量廃棄等が、温暖化、酸性雨、オゾンホール、産業廃棄物、生物種の絶滅、生態系の破壊などの重大な歪みをもたらし、大きな社会問題となっています。地球環境及び生態系は、種々の要素が相互に関連しあって全体の系を構成しながら動いている複雑系であり、その理解には分析的な手法と総合的な手法の両面を取り入れた、物質から地球規模に至る多次元的研究が要求されます。我々は、物質から生態系までを研究対象とし、奈良地域および紀伊半島を基点に、東アジア地域から全球的拡がりを視野に入れ、自然環境と共存できる人間活動のあり方について、広く提言を行うことを目指しています。

なぜ奈良地域,紀伊半島なのか? 〜紀伊半島と本学における自然誌研究〜
紀伊半島の自然と歴史
  紀伊半島は世界でも有数の多雨地域を含み、亜寒帯から亜熱帯までの自然が交錯する豊かな森林、河川、沿岸生態系を擁しています。このような紀伊半島において、早くから人間と自然の交流が行われてきました。古くは吉野野川沿いに点在する遺跡から縄文、弥生時代にまで遡ることかできます。また、神武天皇にまつわる故事来歴が日本書紀に記されていることをはじめ、この地域は日本の古代の中心的な位置にあり、歴史、考古学的研究が精力的に行われています。
  即ち、紀伊半島は、豊かな自然生態系が、歴史的風土の中で古くから維持されてきたところであり、人間社会と自然環境との共生のあり方を探る格好のモデル地域となるものと言えます。
右:LANDSAT/TMデータより作成した1995年夏の画像。
(LANDSAT/TMデータは、米国政府所有、宇宙開発事業団提供。)
C1998 奈良女子大学理学部情報科学陸域グループ

自然誌研究の歴史 
  自然環境と生物に関する研究としては、幕末の紀州藩士、畔田翠山( 源伴存)の名著、「和州吉野郡中物産志」がまず挙げられます。紀伊半島の動植物の分布 、生態について詳細に記録されています。百数十年前にすでにこのような詳細な生態学的調査が行われていたことは驚くべきことです。畔田翠山の業績は、他の著書「和州吉野郡群山記」、「金嶽草木志」を合わせ、奈良産業大学教授御勢久右衛門により、「和州吉野郡群山記、その踏査路と生物相」として再度検討されまとめられました。また明治から昭和にかけて、南方熊楠がこの地にあって粘菌の分類から民族学に至る近代自然誌研究の世界を築きました。
  これらの先達の後を受けて、今もこの地域では、長い歴史をもつ種々の研究会が活躍しています。

奈良女子大学における自然誌研究
  本学の前身奈良高等女子師範の時代には、日本でギボシムシ類の研究を最初に行った桑野久任氏が教鞭をとられ、哺乳類から無脊椎動物に至る多くの動物標本を本学に残されました。奈良女子大学になってからは、東吉野地域における河川生物に関する研究が、昭和23年から、当時の津田松苗教授らによって始められ、昭和44年には、観測小屋(吉野川生物研究室)が高見川と吉野川の合流点近く、吉野町新子地点に設置されました。後に、上流に位置を変えて東吉野自然環境研究施設となり、研究、教育に活用され続けて、水生昆虫の研究においては、日本の研究の一つの中心をなしてきました。また、都市部では、津田教授が始めた汚水生物学が大きな役割を果たしてきました。つづいて、淡水魚の生態学的研究が、名越教授らにより行われ、特に紀伊半島の淡水魚の保全に大きな貢献をしてきました。さらに近年は、水域の研究対象が河川から海にまで拡がり、海洋生物の生態学的研究、分類学的研究が進められています。
  一方、植物学関係の研究は、小清水卓二教授により昭和17年に出版された「萬葉植物? 写真と解説」を始めとして、精力的に大台ヶ原、大峰などの植物相の研究が行われ、現在では、衛星データを用いた紀伊半島の植生に関する研究などに継承されています。また、地史・自然誌的研究分野では、紀伊半島の水環境・地形環境や自然災害などに関する研究などへの取り組みも進められています。
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小中高生向け 東吉野村野外体験実習
シンポジウム情報
奈良女子大学 共生科学研究センター
〒630-8506 奈良市北魚屋東町
【センター本部】

コラボレーションセンター 1階
107室(スタッフルーム)
108室(共生科学研究センター実験室)
 
E-mail kyousei.nwu*cc.nara-wu.ac.jp
          
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