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vol.060 :
「キャリアコンサルティングの使命」
人間行動科学専攻 人間関係行動学コース 川上範夫 先生
vol.058 : らーめん部
人間行動科学専攻人間関係行動学コース 本山方子 先生
vol.057 : 私にとっての音・音楽
人間行動科学専攻 教育文化情報学コース 藤井 康之 先生
vol.055 : 恩師のこと
社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座 阿部 敦 先生
vol.040 :
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 石崎研二 先生
vol.039 : 「奈良にいるならでは」の研究を
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 鶴田幸恵先生
vol.038 : わかりきった話
人間行動科学講座 柳澤有吾 先生
vol.037 :
生活環境学部 住環境学科 藤平 眞紀子 先生 vol.035 : 徒弟修業とパターナリズム
社会生活環境学専攻 人間行動科学講座 西村拓生 先生 vol.033 : 大学院イニシアティブ・・・若手研究者への期待
社会連携センター長 鍜冶幹雄 先生 vol.032 :大学院の魅力は? ―本イニシアティブへの期待―
文学部長 出田和久 先生 vol.031 :「女性研究者キャリア論」の役得
共生社会生活学講座 宮坂 靖子 先生 vol.030 :46%の意味:「女性研究者の王道」
社会・地域学講座 高田将志 先生 vol.029 :留学のすすめ
国際交流センター センター長 西堀わか子 先生 vol.028 :大学の個性化
副学長 井上裕正 先生 vol.027 :
国際社会文化学専攻 比較歴史社会学コース 寺岡伸悟 先生 vol.024 :
附属学校部長 水上 戴子 先生 vol.021 :サッカーと研究
社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 上野 邦一 先生 vol.020 :葵祭について
比較文化学専攻 文化史論講座 小路田 泰直 先生 vol.019 :まずは名称からはじまった「子ども学」
社会生活環境学専攻 人間行動科学講座 浜田寿美男 先生 vol.018 : 「アフガニスタン女子教育支援」の取り組みから
比較文化学専攻 文化史論講座 岩崎 雅美 先生 vol.017 :自主企画セミナーに思う
社会生活環境学専攻 人間行動学講座 藤原 素子 先生 vol.016 :
社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 瀬渡 章子 先生 vol.015 :
社会生活環境学専攻 人間行動科学講座 井上 洋一 先生 vol.014 :泥縄であった
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 松本 博之 先生 vol.013 :お茶の水女子大学での「大学院教育イニシアティブ」
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 内田 忠賢 先生 vol.012 :
社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 増井 正哉 先生 vol.011 :「競争」をこえて
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 栗岡 幹英 先生 vol.010 :雑 感
社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座 佐野 敏行 先生 vol.009 :貪欲な好奇心と旺盛な行動力を!!
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 相馬 秀廣 先生 vol.006 :大変な時代
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 中島 道男 先生 vol.005 :「見えにくい死 隠された死 専門化する死」
社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座 清水 新二 先生 vol.001 :"独創のおもい"
社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 今井 範子 先生 「キャリアコンサルティングの使命」 人間行動科学専攻 人間関係行動学コース
世界的経済混乱にわが国も惑わされている。企業や産業界の人たちの揺れ 動きのあり様を見ていると、アメリカ化の圧力のもとで個別化、孤立化、 断片化、細片化に向かって流されてきた人間関係風土のひずみがここにきて 人の心を余計に不安に陥れているように思われる。うつや精神的不調にさい なまれる人はもちろん、健常と思って暮らしている人たちも、自分の心の ばらばらに直面化させられてきている。一言で言うならば、実業界の人たちに とどまらず、一般市民、教師や学生たちのだれもが、いつのまにか自分の生き 方のビジョンを考えるのではなく自分自身の安全と守りだけに心を向けるように なってきていた。それゆえ、この度の突然の混乱にあたって、高年指導者層 から若者にまでわたって心はパニックになるばかりで、だれもがますます自分 を委縮させて乗り切ろうとしているかのように見受けられる。 心理臨床実践学の領域では、ちょうどこうした経済社会動向の激変に合わせる かのように、2008年末から厚労省による「キャリアコンサルティング技能検定」 が始まった。就労支援はもとより、仕事にかかわるさまざまな苦悩に対して 人間関係を基盤にして援助ができる専門職の認定である。 筆者も認定試験委員の一員として、認定されたキャリアコンサルタントが 心の専門も大切にして実践にあたってくれるならば、今、巷間で苦しんでいる 人たちのよき理解者、連帯者になってくれるものと期待し、この認定制度を 育てていきたいと考えているところである。 らーめん部 人間行動科学専攻人間関係行動学コース ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 何人かの院生と「らーめん部」というものをやっている。何をするかというと、 大学の裏のラーメン屋に一緒にラーメンを食べにいくだけである。ラーメンの研究 や蘊蓄を語ったりするのではない。ただ行って、多少の雑談をして、ラーメンを 黙々と食べて帰ってくる。メンバーや固定した活動日が決まっているわけではない。 部員の義務もない。ゼミに関係なく、誰でも一緒に行けば仲間である。今のところ 院生が中心で、学部生はたまにゲスト参加が認められるような、「おとなの」集まり になっている。 らーめん部のきっかけは、2年ほど前に在学していた院生とラーメンを食べに 行くと、たまたま相談にのることが続いたことであった。そのうち何か相談事が ある時、「先生、ラーメンが食べたいんですけど」とか、「○○さんがラーメンを 食べたいそうです」と言うようになり、「らーめん部」をする、となった。「部費」 にすると言って、そのラーメン屋の金券に応募したりすることもあった。 彼女たちが修了してからは、悩める院生ばかりではないが、「らーめん部」はその 名称と共に後輩の院生に引き継がれている。不思議なことだが、ラーメン屋では、 研究室やゼミ室で聞けないことや言わないことが話される。フォーマルにはまだ 言えないが、院生なりに問題視していたり、理不尽なり正義に思うところが漏ら される。それを聞いて、院生の感性を頼もしく思う一方、教員として衿を正す思 いになったり、あるいは、院生の正義に応えられない自分のふがいなさを胸の内 で嘆いたりしている。 このような場にとって、ラーメンの媒介する力は大きい。ラーメンにはちょっと うるさいので、私が行き続けても良いと思うラーメン屋がなければ、そもそもこう いう場にはならなかったかもしれない。院生の入れ替わりとともに、らーめん部は いずれ消滅していくのであろうし、それでよい。資源として教員やラーメンを利用 することの有無も含めて、院生が自らの学習環境を柔軟につくり出す力を引き出す 存在でありたいと思う。 人間行動科学専攻 教育文化情報学コース ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ はじめまして。前田行央先生の後任として10月から着任し、音楽関係の授業を担当しています。なにを書こうか迷ったのですが、自己紹介を兼ねて、私が今まで続けてきたピアノについて、自分の研究とかかわらせながら書くことにします。 興味のある方は、ぜひどうぞ。
恩師のこと 社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座 阿部 敦 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ これまでの経歴や研究について思うところを自由に述べて下さい――2008年10月に着任して間もなく、そんな依頼を受けた。その際、私の頭に思い浮かんだのは、二人の恩師のことであった。今回は、そのうちの一人であるA先生のことを述べることで、依頼されたテーマに対する自分なりの回答としたい。 食後、一団はターミナル駅の入り口近辺に戻って来た。そしてホームレスの彼は、「それじゃあ、私はここで」と自らの小さなダンボール・ハウスの前で、私たちに言った。その時の彼の寂しそうな、それでいて無表情でもあるような何ともいえない表情を、私は今でも忘れられない。そして先生は、「それじゃあ、ここで」と彼と握手を交わし、我々は予約していたホテルに戻った。その際のやりとりは、私の心に、強烈に響く何かを残した。A先生が差し出した握手の手が、何の違和感もなく自然に出ていたことにも、私は(今だからこそ書けるが)正直なところ“動揺”した。 私はその後、博士論文の指導で、A先生から大変多くのことを学ばせて頂いた。しかし、ある意味で、あの時の、あの男性ホームレスとの時間が、最大の論文指導だったように思う。今になれば、あの時、先生が彼にどのような言葉をかけていたのかを、自分なりに想像することができる。また、その行為の含意するところは、私のその後の研究スタンスに、少なからぬ影響を与えることとなった。 とてもA先生のようにはなれそうもないが、今後も恩師と旨い酒が飲めるように、それなりの努力はしてゆきたいと思う。諸先生方、どうぞ宜しくご指導下さい。 人間行動科学専攻 スポーツ科学コース ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 共生社会生活学講座 松岡悦子 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「ワールドカップサッカーと近代世界システム」 社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ かれこれ10年ほど昔になりましたが、大学院博士課程時代に、インドネシアに留学していたころ、東南アジアを経済危機が襲いました。インドネシアも経済状態が不安定になり、30年以上君臨してきたスハルト大統領の政権が倒れました。その後、社会情勢も悪化し、僕の住んでいた町内では毎日朝まで、住民による夜警をしていました。近所の人たちに混じって、僕の当番も1週間に1回やってきました。ちょうど1998年のサッカー・ワールドカップ・フランス大会が開催中で、道の真ん中にテレビを引っ張り出してきて、(ちょっと呑気なのですが)時差のおかげで夜中に生中継を見ながら賑やかに夜警をやっていました。
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 研究は何のためにやるのだろう? 社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座
一昨日、シンポジウムで報告をした。私の専門分野の学会(法社会学会)での企画なので、研究者や弁護士が参加して、かなり突っ込んだ議論が行われた。シンポのテーマは、弁護士と依頼者の関係を弁護士倫理の観点から検討するというものだったのだが、今回はいろいろと思うところもあり、特にシンポジストを請け負ってよかった、と思った。 弁護士とか、裁判官も含んだ法律家、というと皆さんはどんなイメージを持っているだろう。ドラマや映画では刑事弁護や少年事件で、正義の実現のために奮闘するというのが定番の活動分野のように見えるが、多くの弁護士にとっては、それらの分野は時間的にもケース数的にも、また収入の面でもむしろマイナー分野と言っていいと思う。そもそもこれらの分野だけで事務所の経営を維持するのは難しい。国によっても違うのだが、日本の場合は、金銭債権関連、要するにお金の貸し借りにかかわる問題とか、近年では破産事件などが多くなっているようだ。全弁護士の半数が活動場所にしている東京(この大都市偏在もそれ自体大きな問題だ)では、ビジネス分野、要するに企業に対する法サービスの提供(契約や労働にかかわる紛争予防や、知的財産権管理、また、訴訟代理)の分野が急伸している。これらの分野はなかなかドラマにはなりにくいが、アメリカでは巨大事務所(ローファーム)が発展しているので、事務所そのものを舞台にしたドラマは結構あるみたいだ。では、このような企業分野は、正義の実現とかかわりないかといえば、そんなことは全然なく、最近企業経営でよく言われる「ガバナンス」とか「コンプライアンス」を通じて、CSR(企業の社会的責任)を果たすための基礎的な視点を与えているともいえる。 他方の極では、最近できた「法テラス」での低所得者層を中心とした法律扶助や、刑事で国の費用で被疑者・被告人に弁護士をつける仕組みである国選弁護などの公益活動がある。また、”cause lawyering”といって、弁護士が自身の道徳的価値観から行う法サービスの提供を通じた政治運動・社会運動の領域も重要な分野だ。こう書くと何のことかわかりにくいかもしれないが、公害訴訟とか薬害訴訟、靖国訴訟、オンブズマン活動、クレジット・サラ金被害者救済運動、最近話題になったものだと死刑廃止運動を背景にし、世論からは一種のバッシングを受けた光市母子殺害事件での被告人弁護活動なども、もしかすると違和感を感じる人もいるかもしれないが、そう言ってもいいかもしれない。 だけれども、やはり専門家がその熟練したスキルを通して依頼者の当初の意思を超えてそれを導き、エンパワーメントしていく活動もやはり社会・公共に「善」をもたらす活動として貴重だ。クレサラ被害者救済運動の集会に参加した時は、ちょうど貸金業関連の法律改正に成功したタイミングだったので、大変な盛り上がりようだった。弁護士がいないなあと思ったら、高利貸しに対する運動でもある秩父事件の映画の衣装をまとって華々しくステージに登場され、仰天したものである。そのような弁護士たちに依頼者たちが文字通り涙を流しながら握手を求めてくるさまを間近で見ていると、こういう活動の理論的意義をきちんと基礎づけることが、研究者の真の社会的役割なのかな、という気もしてくる。 というわけで、シンポジウムではその方向で頑張ってみた。専門的な観点から言うとちょっと難しい仕事なので、批判も受けたし、また他方では興味や賛意もある程度いただけたようにも思う。高名なビジネスローヤーが好意的な見方を示してくれたのはうれしかった。 最初の話に戻って、なぜ私が「やってよかったと思ったか」、というのは結局、私自身もやはり社会・公共に対してもっている理想やcauseが弁護士同様にあり、それにもとづいて原理的に重要な貢献のできる可能性のある見方を発信できた(ように自分では思う)からだという単純な理由によるのだと思う。 自然科学も含めて研究に特定の価値とかポリティクスからの中立などはあり得ないというのが常識的な見方になっているが、だからといってもちろん研究の際の開き直りは禁物だろう。だけれども、私たちが普段対象にしている現象、制度、組織、集団、資料などを深く分析したその結果を通じて内在的に導かれる視点から、社会に”public goods”を提供してゆくことは、むしろ機会を得て研究活動を行う者の社会的責任ではないだろうか。 というわけで、ちょっと固い感じになってしまったが、私自身、もっと世のため人のためになれる人にならないといけないなぁ、と、学会のあった神戸の南京町でミーハーにも新聞のランキングで2位になった店で肉まんをほおばりつつ、ぼんやり考えていた。 以上 vol.046 研究テーマ 大学院人間文化研究科 人間行動科学専攻 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ところがいつの頃からか,私自身の研究テーマが自分の体験に密着したものとなってきていることに気づいた。10年くらい前に研究テーマをシフトする必要があり,インターネットと人間の行動という大きなテーマで研究をすることになった。なかなか研究を立ち上げることが出来ず悩んだ時期に,ふと「私の回りの人は,どうしてこんなにインターネットに対してポジティブなんだろう?」「どうして私は消極的なんだろう?」と考え,それがきっかけになってインターネット利用行動と欲求,不安,態度といったものとの関連を調べる研究を行なうようになった。また数年前には自分が母親になり,それまではまったく興味のなかった親子関係や母親どうしの関係(いわゆるママ友)にも学問的に興味を持つようになり,気がつけば自分の研究テーマになっている。 ・・・ということで,「実験心理学どまんなか」からふらふらと浮遊しはじめた私の研究テーマ。この後どこにいくのか,自分でも見当がつかない。 vol.045 潘家園旧貨市場 大学院人間文化研究科 比較文化学専攻 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ どんなものが売られているかというと、いわゆる書画骨董の類が中心となるが、陶磁器や玉器にとどまらず、少数民族の刺繍や染色工芸品・織物、さらには毛沢東バッジ等の文革物まで、中国各地から様々な物資が運ばれてくる。なぜ、これほどまでに骨董品や民具を求めて、中国内外から人々が集まってくるのだろうか。中国では、富裕層の増加とともに美術品や骨董品の市場が急速に拡大しているのが最も大きな要因である。各地に同様の大きな市場が形成されつつある。それに加えて、価格が手ごろなこともあって、外国人観光客も骨董品を求めて大挙して押しかけてくるのである。 潘家園旧貨市場は、まさに北京を代表する観光スポットと化しているのである。市場のある潘家橋は三環路とよばれる環状線上にある。空港からはリムジンバスで直接アクセス可能である。この環状道路沿いには、現在の中国経済の活況を物語るように近未来的デザインの高層ビルが林立している。バスの車窓から眺める北京の町並みと潘家園の雑踏は、まさに現在の中国経済を象徴する光景なのである。 vol.043 <院生による概論>のススメ 社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 人はどんな時に多くを学ぶのでしょうか。 大学院生も例外ではありません。講義に出るよりも、シロウト相手に教える難しさと面白さを経験したとき、ひと回り成長するはず……。そう考えて本年度、自主ゼミ形式で立ち上げたのが「院生による現代社会学概論」(主催:奈良女子大学社会学研究会)です。 昨年5月から本年2月まで、社会学を専門とする計16人の院生や修了生がひとり一回づつ模擬の教壇にたち、聴講は全学によびかけました。講義の題材は、ジェンダー論、差別問題、アニメーション、医療、家庭の誕生、社会的逸脱、デンマークの家族、中国の家族、南アフリカの教育、R.マートンの社会学、企業福祉、障害学、環境問題、現代社会学の理論、女性学の流れ、など多彩です。留学生による英語の授業もありました。 実施方式は次の通り。 毎回、講義は70分ほどにおさめ、残りの20分は教授法についてのディスカッションにあてる。さらに無記名のコメントペーパーをフロアから募る。授業ですから、必要な機材の準備や設営も講義担当者ができるだけ自力でやります。さらに全体をサポートするのが、季節にふさわしいデザインのチラシ作りや、毎回の結果報告配信などです。 学部生もふくめ年間でのべ150人ほどが聴講し、登壇した院生からは「はじめて授業をして、とても勉強になった」などと好評でした。 概論とはスタンダードな知識の提供です。あえて<概論>を看板にする本取組のねらいは2つありました。ひとつは、狭い専門に閉じこもりがちな院生が、自分の学問を平易に語れる広い学識と視野を獲得すること。もうひとつは、院生自身の教育力アップ。「奈良女の院生はわかりやすい授業もできるらしい」。こんなウワサをひろめて、教育・研究職を目指す院生の就職を支援できればと、来年度の準備をはじめています。 院生による概論。本学の他の分野でも、試みられてはいかがでしょうか。実現すれば、ぜひ聴講させていただきたいものです。 P.S. 楽屋話ですが、運営にお金はあまりかかりません。年間の全経費は、チラシ作成代の約1万円のみ。運営事務は院生ボランティアに頼りました。ただ、自主ゼミといいながら、教員が口を出しすぎたかもしれません。自主性の強制!? いけませんね……。
vol.042 区切りの時を迎えて
社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 院生時代とは、考え込むことに人目はばかることなく時間を割ける貴重な期間です。身近な生活環境に目を凝らし、問題の所在を突き止めようと、ものの見方、思考の方法を、指導者から学んでいきます。フィールドとの出会いには巡り合わせがあり、研究室での様々なタイミングによるところが大きいとはいえ、テーマとの出会いは、その人にとっての必然となり、しっかり貫いて新しい価値観を導き出すのに不足はありません。 本学の大学院で過ごす2年間が、院生にとってかけがえのない学びの場となるよう、来年に向けて気持ちを新たにしました。 vol.041
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 心理学の究極の課題は生命体が有する能動性の謎を明らかにすることである。能動性とは自ら成長し運動することである。しかるに、独立した学問としての心理学の誕生は、ことばの意味や思考の論理性や行為の原因を心や脳に求めたのが契機であった。かくて心理学はバージョン・アップした霊魂論となり、究極の問いへの答えは遠のいた。 能動性は魂に発し身体は受動的な反応機械に過ぎないとデカルトが唱えて以来、世界も生命体も機械とされ、教育を含む近代の「科学技術」は機械論を基礎にした。20世紀には人間すら機械と化し、労働は使役されるものとなり、大量生産と大量殺戮の技術が誕生した。人間性の回復が求められているのに、心理学は魂を扱う「技術」として商品化されるに到った。いまだ究極の問いへの答えをみないでいる。 私たちが学生たちに究極的に願うことは、課題や試験への応答性ではなく、学びの能動性でないだろうか。マルクス主義に憧れていたはずの父は「お前らは牛や馬と同じだ。鞭で打たれないと学ばない」と言い、体罰を非難された教師をかばった。その体罰教師は「水辺に連れて行くことはできても、牛に水を飲ませることはできない」とよく口にした。「ぼくは牛じゃない」と反発して私は能動的になった。(この錯綜!子どもは不思議だ。) 環境は整ったかもしれない。手は尽くしたと思う。後は能動性なのだが。 vol.040 社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 院生に覇気がない。いや、これは身近な例から感じることである。控えめであること、穏やかであることは、本学の学生の美徳だと思うのだが、もっと尖って生意気であってほしいと思う。 以前、とある先生から次のようなおもしろい話を聞いた。学力とはロジスティック曲線のように成長する、と。ロジスティック曲線とは、生物の個体数の段階的増加を表現したものだが、時間とともに緩やかに増加する初期、急増する中期、そして増加率が鈍化する後期に分けられる。先生曰く、学部生は初期、院生は中期、教員は後期に当たる。そして、各段階の曲線の接線で将来を展望する、あるいは過去をふりかえるというのだ。 学生の段階では、いくら接線を延ばしても院生や教員の域には達しない。だから、予想以上に高い段階にある院生や教員のことをすごいと思う。しかし、急増期に当たる院生の接線は傾きが大きくなるため、自分の将来予想を下回る上級生や教員に対して、つい生意気な態度をとる。だが、これが健全な院生の姿なのだ。もっと上級生や教員にくってかかってほしい。それが急成長していることの証ではないだろうか。 さて、かくいう教員はというと、曲線の後期の段階で接線を過去に延ばしたときのことを想像してみてください。 vol.039
社会・地域学講座 鶴田幸恵先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ vol.038 わかりきった
人間行動科学講座 柳澤有吾 先生 この季節になると(ならなくても)大学院の定員充足問題が気になるテーマとして挙がってくる。大学院の拡充が説かれて久しく、ここ十数年で大学院生の数は約3倍にもなっている。定員増の中、とくに奈良女の大学院でなければという理由が乏しければ志願者が減るのは当然で、大学院を手放す決断をするのならともかく、それができないのであれば、なんらかの個性化を図らなければならない。 もちろん、突飛なことばかり考えるのではなく、「地道にやる」というのも―きわめれば―ひとつの立派な個性化だろう。どれもわかりきった話ではあるのだが、単に「わかりきった話」で終わってしまうことが問題なのかもしれない。 プロジェクト型予算配分に引き回される日々が続いており、いま現在も「大学院教育改革プログラム」への応募が懸案事項の一つ になっている。こうした課題への対応を迫られるなかで、大学のあり方や各種の「資源」、地域との関係などを十分に反省できるなら、それはそれでひとつの契機として肯定的に受け止められる部分もあるはずだが、必ずしもそのようにはなっていないように思われる。 その理由について考え出しても。結局はまた「わかりきった話」ばかりになってしまいそうだが、ひとつだけ取り上げるならば、「中小企業」なら「中小企業」らしく、「社員」一人一人との「対話」がもっと重視されてもいいのではないかと(本気で)思う。コース(講座)会議や専攻会議などのなかで埋もれていってしまう「声」の中には、耳を傾けるべきことが予想以上にたくさん含まれているのではないだろうか。 生活環境学部 住環境学科 藤平 眞紀子 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日頃、研究室の机の上には種々の書類が散乱、山積み状態である。なんとかならないかと、自分の乏しい整理・整頓力を空しく感じることが多い。運良く ファイルに収められていると、いざという時に役立つものである。 さて、本大学院イニシアティブに関して、一冊のファイルがある。タイトルは「FD部 会」、最初の頁に部会ごとのメンバー表が入っている。私の名はFD部会 に記されており、現在に至っている。そこで、ここでは、私の目からみたFD部会の様子を紹介させていただきたい。 なお、あくまでも一部会員による目視観察によるものであり、一部、経験的に得られた情報も含んでいる。目視観察では、観察者の主観が入りやすい場合もある。また、観察者自身のことはみることができない。この点をお許しいただきたい。FD部会の様子を以下に箇条書きする。 ・アイデアが豊富である FD部会の様子をご想像いただければ幸いである。さて、FD部会では、年明け2月ごろに、FD研修会を予定している。今までは、院生も含めたFD研修・ 交流会が多かったが、今回は、河合塾の方を講師としてお招きし、大学院受験の動向等についてお話いただけるよう準備を進めている。 FD研修会へのご要望 等ありましたら、お近くのFD部会員まで、よろしくお願いします。 vol.036 いざ、「思考の向こう側」へ!!
社会生活環境学専攻 人間行動科学講座
木梨雅子 先生
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人間行動科学講座 西村拓生 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 私が学んだ大学院は「捨て育ち」がモットーだった。が、このモットーを好んで口にされる私の恩師は、古風で厳格な徒弟制的指導をされた。恐る恐る持って行った原稿は、ある時は「しゃらくさい!」のひと言で引き裂かれ(比喩に非ず)、またある時は、原形をとどめぬまで朱を入れられた(もとい、入れていただいた)。「捨て育ちなら放っておいてくれ!」と、ほとんど呪詛の言葉をつぶやきつつ、それでも私は、研究者に必要ないくばくかの技と気概を身につけられたように思う。そのことを、今は感謝している。 奈良女に来て後期課程を担当するようになった時、自分の学生たちには、あんな思いはさせたくない、と念じる一方、人文科学の研究者養成は徒弟修業でしかできない、とも確信していた。省みれば、自分が受けた教育の「物語」から自由になるのが如何に困難か、という典型的な症例である。 その結果、私の指導は、どうやら女子大特有のパターナリズム(父権的温情主義)に陥ることになった。私の親切さ(のつもりだった)は学生の自立を妨げ、私の学問的厳格さ(のつもりだった)は学生の発想を制約していたようなのである。 幸か不幸か、私は今、担当の学生たちからの様々な反逆に直面している。そのエネルギーが、彼女たちの研究者としての自立につながって行ってくれるよう、祈るような気持ちでいるのだが…。
社会連携センター長 鍜冶幹雄 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
学生時代に、「学部は、勉強の仕方・本の読み方を学ぶところ。大学院は、研究の仕方を学ぶところ。」と教えられ、今も心に残っている。この言葉の本質は変わらないと思うが、現実の大学を囲む環境は大きく変化している。この変化に対応するため、本イニシアティブの役割は大変重要であり、今後の大学院教育を考えていく上での期待には大きなものがある。
文学部長 出田和久 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
学生にとって大学院教育の真の魅力は何かと考えてみると、それは既成の知だけではなく、未確定の知をも対象としていることだと思う。だから私はいつも、従来の知識からはここまでは確かであろうが、ここから先は必ずしも確かではない。未知の事柄も多いことを、伝えるよう心掛けている。確定した専門領域の知を伝えることを中心に考えれば、本学の少人数教育のコストパフォーマンスはよくないが、未知の世界を探求する(チョッと大げさ?)という側面からすれば、その利点は大きい。
社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 46%の意味:「女性研究者の王道」
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 拙文と関係する大学院イニシアティブのポスターは,味のある写真一つをとっても,関係の方々のアイデアと奉仕精神に溢れる労作だなあと思っていたある日,某研究所に勤務する研究者の方からこんなことを尋ねられました.『「女性研究者の王道」修了生の46%が大学教員』を見てのことです.「この数字は全部パーマネントの職についておられる方ですか?何で国の研究所や民間企業の研究者を入れないんですか?大学院修了後の進路の可能性という意味では,残り54%についての方を知りたいですね.」
留学のすすめ
国際交流センター ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 学生が、海外の大学や研究機関などで勉強や研究を行うことを奨励する文部科学省事業の一つに、「教育の国際化推進プログラム(長期海外留学支援)」というものがあります。この事業に寄せる各大学の関心がこのところ高まっています。 大学院イニシアティブは、文字通り国際的に通用する人材を育成するための教育・研究プログラムです。そこで、イニシアティブ担当の先生方にお願いしたいことは、このプログラムにご関心をお寄せいただき、優秀な学生に応募をお勧めいただきたいことです。11月には文部科学省の公募が開始されます。 ちなみに、平成19年度の派遣が採択された大学は、北大、東北大、筑波大、東大、東外大、一橋大、信州大、名大、京大、阪大、神大、奈良女大、広大、愛媛大、九大、九工大、佐賀大、熊本大、鹿児島大、首都大、慶大、ICU, 上智大、明大、早大、立命大、計26大学72名(応募者107人)です。 国際課留学生係が、随時相談に応じておりますので、まずは内線3240へお電話ください。 大学の個性化
副学長 井上裕正 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 例年、5月末から6月にかけては副学長(教育・学生支援担当)として全国的な会議に出席する機会が多い。今年も国立大学教養教育実施組織会議が佐賀大学の当番で佐賀市で、全国大学入試選抜研究連絡協議会が大学入試センターの主催で東京で開催された。そうした会議では、教育や入試に関する各大学のいわば先導的な取組が報告されるが、その多くは若干の違いはあっても本学も取組んでいるものである。80を越えるすべての国立大学法人について確認したわけではないが、各法人の中期目標・計画も似たり寄ったりであり、特に教育・学生支援に関して言えば、同じような内容であってむしろ当然であろう。 そうした状況のなかで、今、大学の個性化、機能分化の必要性が叫ばれている。そのことに関連して、いろいろな会議に出席していつも感じることがある。それは、本学が国立の女子大学であるという、われわれにとっては自明の事実である。他大学の報告に耳を傾けながら、いつもその事実を確認させられると同時に、他大学の出席者からもそのことを指摘されることが再々である。当面するもろもろの評価への対応や次期中期目標・計画の策定に際しては、国立の女子大学として本学に課せられた使命をよりいっそう自覚する必要があると感じさせられる昨今である。
国際社会文化学専攻 比較歴史社会学コース
寺岡伸悟 先生
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ vol.024 附属学校部長 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ vol.023 大衆への反逆 文学部長 (比較文化学専攻 日本アジア文化情報学講座) 奥村 悦三 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ わたしが大学に進んだとき、多数の「団塊の世代」が進学するのに合せて、国立大学の定員枠は広がり、私立大学が増設されたのでした。そして、大学生はエリートではなくなり、「大衆」化したのでした。そのころ、学生が「インテリゲンチア」として社会の不正を正さなければならないと叫んで、多くの大学で「大学紛争」が起きたのですが、じつは、そのときすでに、大学生は、もはや選ばれた存在ではなくなっていたのです。「正義を求める闘争」が、もしかしたら「大衆の反逆」だったかもしれない、というわけです。 将来に希望の持てる研究・教育大学院への提言−大学院の重点化を目指して− 大学院人間文化研究科長 矢野重信 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 平成17年度から始まった文部科学省の支援による「魅力ある大学院教育」イニシアティブにおいて、平成17年度は社会生活環境学専攻を基盤とする「生活環境の課題発見・解決型女性研究者養成」プロジェクトが選定され、平成18年度には複合現象科学専攻を基盤とする「先端科学技術の芽を生み出す女性研究者の育成」が選定されました。本研究科の取り組みが高く評価されたものとして、大変喜んでいます。関係の皆様にはこの場をお借りしてあらためて心から御礼申し上げる次第です。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 私はテレビをほとんど見ず、ラジオを聴いていることが多い。ただサッカーが好きで、試合を見ることはあるが、サッカーの試合もラジオで実況中継を聞くことがある。ところで、サッカーの試合は、ある程度ルールや、選手の役割、試合運びの戦術など予備知識がないと、興味は半減するだろうし、放送そのものが理解できないかもしれない。
vol.020 葵祭について 比較文化学専攻 文化史論講座
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 歴史家には偶然の出会いがある。京都府宮津市、天橋立の付け根の所に籠神社という神社がある。元伊勢神社とも呼ばれ、伊勢外宮の豊受大神の出身の神社とされる神社だ。日本最古の家系を誇る海部氏の氏神でもある。そこで私は京都加茂社の葵祭よりも古い葵祭と出会った。しかもそれが実は藤祭であること知った。ということは葵祭の葵とは蔓系植物の象徴であり、実は藤のことを指していたということになる。そういえば加茂社のたつのは山城国葛野の地であり、その元社である鴨都波神社あるいは高鴨神社がたつのは大和国葛城山の麓である。そして大阪府藤井寺市がかつて葛井寺市と書いたように、「藤」と「葛」とは置き換えが可能である。だとすればそれはありうる。
vol.019 : まずは名称からはじまった「子ども学」 社会生活環境学専攻 人間行動科学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 本学で子ども学プロジェクトがスタートしたのも、この同じ流れの上であることは否定できません。ただ一方で、「子ども」という問題がこの時代の先行きを決める重大な問題であることもまた、やはり間違いのないところです。とすれば、この問題に向けて、それに応えるだけの内実を「子ども学」として準備していくことが、子ども関連の仕事をやってきたものの責務だということにもなります。名称が先にあって、内実が伴っていないという現実のうえで、しかし解くべき問題は確実にあって、そこに着実な研究が要請されている。これが、私たちの「子ども学」の現状なのです。 今後、さまざまな領域からのご協力をお願いしなければならない場面が、あれこれ出てくるのではないかと思っておりますので、皆様、その折にはよろしくお願いします。 vol.018 : 「アフガニスタン女子教育支援」の取り組みから
比較文化学専攻 文化史論講座 岩崎 雅美 先生 (アフガニスタン女子教育支援のための女性教員研修実施委員会委員長) ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ホームページで詳しく報じておりますが、アフガニスタンの復興において女性の地位向上と教育の拡充は重要であるとの一致した観点から、平成14(2002)年5月17日に五女子大学の間で「アフガニスタン女子教育支援のための五女子大学コンソ−シアム」が締結されました。その後第一フェーズ(3年間)を経て、平成18年度は第二フェーズの2年目になります。当初はその後第三フェーズ(3年間)が予定されていましたが、JICAの人事的な交代や資金面の事情から、第三フェーズは困難な状況になっています。 一方、奈良女子大学には現在3名のアフガニスタンからの留学生を迎えています。理学部2名、生活環境学部1名です。いつもスカーフを頭から被っているのでキャンパスでもすぐ見分けが付きます。イスラムの女性は『コーラン』に、ベールで頭から胸まで垂れることが記されていて、現在ではそれがスカーフに様変わりしています。同じイスラムでも中国に入るとかなり薄れて、地域性や政治の影響がみられます。しかしイスラムの社会は宗教がらみで男女の区別意識が強く、女性の教育に女子大学は大いに有益であります。国立大学法人の奈良女子大学に留学するならば、家族も安心というものです。教育援助は細く長くが特色ですから、奈良女子大学は息長くイスラム社会の女性達とつきあっていけば、それが大学の一つの特色になるでしょう。イスラム社会に早く平和が訪れ、交流が活発になるように願うばかりです。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今年度、自主活動支援部会の部会長を仰せつかった。私にはかなり荷が重いと感じながらも、大学院生の自主活動をいろんな面からサポートすべく、部会の先生方の多大なご協力を得て活動している。
社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今年度、慌てて申請した科研費が思いがけず採用された。海外調査を入れていたので、面識はなかったがカナダのW教授に訪問希望を伝えた。メールを送り、関連資料も追加で別送した。2ヶ月後、諦めていた頃にやっと返事が届いた。返事が遅れたのはサバティカルのためだとわかったが、それは8月末には終了したので、幸い私の訪問は実現した。W教授から、7年ごとに1年間のサバティカルがあり、今回で5度目の取得という話を聞かされ、とても驚いた。日本では縁のない制度と思い込んでいたが、そうでもないらしい。東大では2年前にサバティカル研修規程が設けられて、7年ごとに「6月以上1年以内」の期間を「権利として取得」するものとして定められている。京大は、平成18年度計画に制度の導入検討があがっている。研究に打ち込める時間が大幅に削られている現在、研究者の「自家中毒」傾向を補正し、それまでの活動を総括して、次期サバティカルまでの向こう数年間の教育・研究計画をじっくり練るための時間を、是非「権利」として与えられるべきだと、最近強く思う。 vol.015 : 社会生活環境学専攻 人間行動科学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
vol.014 : 泥縄であった 社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 学部学生のころ、ある先生が「大学では学問をやっているんだが、どうなのかね、学問以前があって学問をやっているんだろうか、学問をやったら、学問以後があるはずだがね……」と、数人の学生に問いかけるのでもなく、まるで自問しているようなつぶやきを投げかけられた。その先生は哲学の先生ではなかったし、未だ40代に差し掛かった精鋭の人類学者だった。その時、私は「山があるから登るんだ」という言葉が流行っていたからか、「大学があるから大学に入るんだ、学問以前があってじゃない」と内心つぶやいていたが、同時に「学問以後」という言葉がとても新鮮に聞こえた。その問いかけがこの40年ずーと胸に突き刺さったままなのである。自分の研究テーマが自分の人生にとって抜き差しならない意味を持つものなのかという問い。とくに文系の学問にはこのことがつきまとう。文章を書いても、自分自身をまな板の上に載せているのでなければ、人に読んでもらえるような文章にはならない。 昨秋、ある出版社から依頼があり、その先生の卒業論文・修士論文をふくむ初期の文章を集めて1冊の書物に編集した。先生に出逢って以来、ほとんどの著作物に目をとおしてきたのだが、60年前の卒論・修論の草稿を読んで驚愕した。その先生の学問以前がこの60年間寸分の狂いもなく只々一筋の道を描いていたのである。 やんぬるかな、わが人生は、泥縄であった!! 法顕を見習い、六〇にして学を志そうかな……。 vol.013 : お茶の水女子大学での「大学院教育イニシアティブ」 社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 3月まで12年間勤務した大学での、表題関連の話題です。お茶大では、昨年度2件採択され、1件は、私が専任教員をしていた国際日本学専攻(博士後期課程)を主軸にしていました。そこでの、院生のキャリアアップの取り組み例(文学部系)をご紹介しましょう。@従来、海外の大学との交流や、それに関わる公開シンポジウムへの費用は、学長裁量あるいは教員拠出という「学内捻出」型でしたが、イニシアティブのお蔭で、(無駄遣いはしないものの)かなり充実しました。院生に海外での研究発表を体験してもらうと同時に、国際的な大学間交流を進める、一挙両得なプロジェクトを、大胆に実施できました。私が引率したパリ・ソルボンヌ組(日本側総勢9名)は、江戸東京の文化史をテーマに、フランス語を交えながら2日間の公開シンポジウムを持ちました。日本学に関心があるフランス人は多いので、会場は大盛況でした。院生にとって、費用負担なく、海外で10日間程度、武者修行でき、しかも報告書により業績(海外での研究発表実績)が増えます。 Aまた、専攻の性格上、「文化マネージメント」というサブ・コース(科目群、博士前期課程)を新設しました。大学院修了者が専門を生かし、文化行政やメセナ事業等に参入するためのトレーニングです(修了証も発行)。まだ、2年目なので、効果が目に見えるまでには多少時間がかかりますが、関連事業の費用はイニシアティブ頼みです。 B以上、私が体験したことに限って、お話しました。文学部系・院は、東大と競合関係にあるので、大学の規模上(たとえば、教員数は東大の1/30)、「量より質」への転換を図っています。「院生一人一人に手間ひま掛けた女性研究者養成」という感じです。奈良女と違い、お茶大は東京都心に立地するという強みがあるものの、女子大、小規模という、両大学が抱える宿命(2重苦?)を如何にメリットに転換するか。名門復活への模索は続きます。 vol.012 : 社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 増井 正哉 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ とくにお願いしたわけでもないのに、「学術基礎英語」にゲストスピーカーとしてお招きした先生が、立派な学生向き評価シートをつくってこられた。海外でコンサルタントとして活躍しておられる先生だけあって手慣れたもので、プロパーの大学の教員には、なかなかできない芸当だと感心したのだが、同時に、私の学内・学外の仕事の中で、唯一、誰からも評価を受けることがないのが、大学院の授業であることに気づいた。考えてみると、私が学外でやっている実務的な仕事で、事後の評価がついてこないものは全くなく、実際に評価を前提にした仕事の進め方をしている。研究に対しても、研究助成に対しても、第3者の評価があたりまえである。善し悪しは別として、目標設定に対する評価は、世の中の仕組みの根幹なのだ。 学部の授業では、形式的ではあるが、学生による評価のシステムが一応できあがっている。評価の結果をどのように活用しているかははっきりしないが。住環境学科では、Jabee認定申請にさいして、学生による授業評価を授業改善に役立てるシステムづくりを行った。他の教員が担当する授業への評価と、自分の授業に対する評価をくらべてみると、いろいろなことが分かって面白かった。 そこで、大学院である。イニシアティブがきっかけで、ようやく授業に対する学生の評価が組織的にはじめられる。最後の聖域にメスがはいって、世の中の仕組みに、大学院教育が追いつくことになるわけだ。だだ、大切なのは、評価をどのように教育改善につなげていくかである。そのあたりが、イニシアティブの真価が問われるところだろう。 vol.011 :「競争」をこえて 社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 栗岡 幹英 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 熟考して計画的に人生を渡ることに縁がなく、たまたま大学院に進学し、運良く研究者の末席に位置するものとして、最近の状況は心が痛む。というのは、研究者をめざして院に進学した学生の進路がとても不安定になっているからである。たまたま恵まれていたのだが、大学院の在籍中、私には就職について大きな不安を感じることがなかった。 vol.010 :雑 感 社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座
佐野敏行 先生
今となっては何年前であったか定かではないが、おそらく10年以上も前の夕方、ある年長の先生が、ある言葉のスペリングを教えて欲しいと、まだ若手教員であった私の研究室に来たことを鮮明に覚えている。当時まだ大学改革の声が遠くに聞こえてはいても、身近なところでは、ほとんど進んでいないと感じていた私は、その言葉に関心をもった先輩教員にささやかな敬意をもち、たった一つの英単語のことで尋ねて来ていただいたことに多少とも嬉しく思った。その言葉は、当時、留学の経験から「当たり前」と思って、私自身が大学の授業を担当することになってすぐに使い始めていたものの名称であったので、すぐに、質問に答えると、その先生はスペリングの意外さに気づかれて、なぜ自分でそれを探し出せなかったのかに納得されて帰られた。些細にみえることでも、尋ねることは、年齢を重ねても必要なことだと思う。このことは、研究教育者の卵や高度専門的職業人の卵にとっても重要なことだと思う。ところで、この言葉シラバスにはl(エル)が二つ必要でしたっけ? vol.009 : 貪欲な好奇心と旺盛な行動力を!! 社会生活環境学専攻 社会・地域学講座 相馬 秀廣 先生
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社会生活環境学専攻 人間行動科学講座
麻生 武 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
先日、関西の「子ども学」学科や「子ども学」学部をつくっている女子大の集まりに参加してきた。古い私学の女子大はリベラルアーツの伝統を誇ってきたのだが、昨今の資格ブームの中で、「学生募集のため資格を売りにするとリベラルアーツの伝統が泣くので」どの大学も非常に苦しんでいる。
社会生活環境学専攻社会・地域学講座 戸祭 由美夫 先生
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‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座 清水新二 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 一方、やたらに死が語られる場面もある。「専門化した死」である。脳死論や臓器移植論であり、あるいはターミナルケア論である。いずれも専門的言説であり、寅さんが口にする死とは異なる。 社会生活環境学専攻 人間行動科学講座 杉峰英憲 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
社会生活環境学専攻 人間行動科学講座
小田切毅一 先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ガールズ・ビー・アンビシャス!
社会生活環境学専攻 社会・地域学講座
中道 實先生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ キャリアを積み、業績を達成し、成功するためには、才能、知性、教育、努力、時に幸運が必要である。これらの「個人に依存する」諸属性は、周囲の人との関係=ネットワークの中で創発し発達する社会的性質をもっている。
vol.001 : "独創のおもい" 社会生活環境学専攻 生活環境計画学講座 今 井 範 子 先生 「独創的な研究」 この"至上命令"に、大学院修士課程、そしてまだ研究の道に就いたころわが胸中はさいなまれたものである。或る日、つぎのような一文に出あう。「そのことについて、世のどの人よりも考えると、おのずと独創的なものになる」と。当時、この言葉ほど励まされたものはなく、いまも心に響き続けている。 若き後輩たちに、悶々と考えるというようなこと、この忙しい時代にあるのだろうか・・・。 不毛な悶々とした時間は、教育的配慮から避けなければならない。しかし、強靭な思考の中にこそ・・・・。 私のもとに学生が困り顔で尋ねてくると、考えていることを話す。次の時間、自分の考えかのような学生の発言に、話したことはよく理解をしていると思いながらも、"もっと、自分の考えも積み上げて、自分のものに消化して、ふくらまして・・・・!" わが師も同じ思いをされたことであろうと顧みながらも、そのものたりなさに歯がゆい思いをすることが多々ある。指導の加減は難しい。人の意見と自分の意見を区別できるということ、これもまた、独創の始まり。日々の指導の悩みは尽きない。学生との議論(なかなか議論にならないことも悩ましい)のなかで共感しえたときは楽しい、うれしい時間。 ゆとり、スローライフを志向する時代にあって、大学には効率性が求められる昨今。考えることはいつでもどこでもできる。個性的で、独創的なものの見方を身につけた、 きらきら輝く女性研究者の出立ちを期待しつつ・・・。 |
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