留学体験記<オーストリア>

グラーツ大学

(文学部 言語文化学科 Y.S.さん)
派遣期間:2012年9月〜2013年7月

グラーツという都市名を聞いて、いったい何割の日本人が「ああ、あの街ね」と思い当たることができるでしょうか。恐らく、オーストリア第二の都市と聞いても首をひねる方がほとんどでしょう。かく言う私も、グラーツ大学で夏季休暇中に実施された語学コースに参加し、そこで設けられた「グラーツってどんな街?」というトピックで勉強するまではほとんどまともに知らなかった街です。今思えば、名前とそれがどこの国にあるのかしか知らないまま一年間も留学しようだなんて、ずいぶん思い切ったことをしたものです。是非とも真似しないでください。

 「なるようになる」と言うよりは「なるようにしかならない」という、前向きなのか後ろ向きなのか些か判断し難いモットーを掲げて私が中欧に位置するオーストリアに渡ったのは昨夏のことでした。実際にグラーツに到着してから語学コースが始まるまで一週間と少し。寮の近くにあった広場で開かれていた市場に感激し、意気揚々と暇つぶしと散策を兼ねて突撃した私は、そこで早々に言語の壁にぶつかりました。

日本ではオーストリアの公用語はドイツ語だと思われていますが、実はそれは間違いだったのです。彼らは誇りを持ってこう言います。「俺たちが話しているのはオーストリア語だ」と。

つまり、南ドイツなんて目ではないくらい(言い過ぎました。ハックナー先生すみません)訛りがきついのです。標準語と呼ばれる言葉を勉強してきた外国人が関西に来てイントネーションや言葉の違いに戸惑う場面を想像していただければ恐らくそれが一番近い状況でしょう。独語の「クレープ」が「パラチンケン」、「アプリコーゼ(杏)」が「マリレン」と、一事が万事そんな調子なのです。しかも、最初に突撃した先が最も訛りがきついであろう農家のおじさまおばさま達が集う市場。この時点で色々と悟りの境地に至ったことが、後の語学コースでばっちり仏語発音の独語で話しかけてくる仏人や最早何語を喋っているのかわからない中東方面の方々とのコミュニケーションに役立ったと自負しております。後にフラットメイトになった英語も独語も話せないアルメニア人とフィーリングで交流したことは、確実に私を間違った方向に自信付けさせました。

留学中、一番綺麗な英語を操っていたのはウクライナ人でした。初対面のオーストラリア人とアメリカ人が幾らか会話を試みて、後に「あいつは英語が喋れない」と文句を言ったりもしていました。案外、言語ってそんなものなのかもしれません。