留学体験記<ベルギー>

ルーヴェン・カトリック大学

2018年9月から2019年6月末までの10ヶ月間、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に交換留学しました。留学を申請する際に出したIELTSのスコアが切れてしまい、もう準備を始めて2年も経ったのかと驚くとともに、あっという間だったと感じます。大学入学前からずっと憧れて、ようやく叶った留学でしたが、その生活は良い意味でも悪い意味でも想像とは違うものでした。

特にベルギー到着直後は、想像以上に毎日苦しみました。語学力の低さに絶望し、寮のうるささや汚さに腹を立て、自分の気持ちを伝えきれなくて歯がゆい思いをし…。初めてマイノリティになったことに対する戸惑いが大きく、居心地の悪さを強く感じることもありました。しかし、日本人だらけで、日本語があれば生きていけるこの国では決して経験しないことであり、大変貴重だったと感じます。常に発見と学びの連続であり、自国や自分自身を客観視する大きなきっかけになりました。また、おかしいと思ったことには声を上げられるようになるなど、たくましくもなりました。

また、寮では約15カ国の人とともに暮らし、ご飯を作り合ったり、遊びに出かけたり、ともに勉強したり、ただ共有スペースでだらけたりとたくさんの時間を過ごすことで、掛け替えのない友人ができました。文化や習慣が違う分、騒音やキッチンの使い方でトラブルもありましたが、みんなで協力し乗り越えられました。語学力の低さから歯がゆい思いもたくさんしましたが、先に帰国してしまう友人に「この寮を家にしてくれてありがとう」と言われた時は、国籍や言葉の違いを超えて家族のような存在になれたことを実感し、感涙しました。世界中に家族が出来るなんて、留学前には想像もしていませんでした。

様々な背景を持つたくさんの人と関わり合えたことで、多様性とは、単に異質なもの同士が幅広く存在しているだけではなく、あらゆる場面での違いを、時に楽しみ合い、時に黙認し合い、時に許し合い、時に学び合うことであると実感しました。1年間、楽しいことと同じくらい大変な思いもたくさんしましたが、素敵な友人たちに恵まれ、この上なく素晴らしい留学生活を送れたと思っています。誰よりも苦しんで、誰よりも楽しんで、誰よりも成長した留学であったと胸を張りたいです。ぜひ、想像以上の経験をしに留学に挑戦してみてください。

ルーヴェン・カトリック大学

私は2018年9月から2019年6月までの9カ月間、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に派遣していただきました。帰国してはや半年が経とうとし、日本での日常生活に再び馴染んでいる私ですが、未だに留学先での経験を全て整理しきれていないように感じます。留学を開始した2018年の冬、ベルギーを含むヨーロッパ各国ではスウェーデン人の少女グレタ・トゥーンベリさんが1人で始めた地球温暖化対策への抗議デモが広がりはじめていました。実際に、週末には青少年による地球温暖化対策を推進するデモ行進を目にしていましたが、翌2019年の9月に彼女が国連の気候行動サミットでスピーチを行ったニュースを見て時間の流れを感じました。留学を通して得た知識や経験を活かすための努力が必要不可欠ですが、ここでは今の私が表現できることを書きたいと思います。

この交換留学期間には様々な分野学問やバックグラウンドの異なる人々との出会いがあり、毎日新鮮な気持ち過ごすことができました。その一方で、自分のものごとの捉え方や能力不足に悩んだり苦しんだりした期間でもありました。そのような中でも、この留学をして私が良かったと感じるのは、身をもって、何事も積極的に楽しむ姿勢をもつことの大切さを知ったからです。私は国際寮に入り、12名のヨーロッパの各国から来た学生達とキッチンを共有していました。太陽が沈み始める時間になると皆が思い思いに食事を用意する時間は様々な人と交流できる魅力的な場所でした。しかし初めからそのように思えたわけではありません。留学前、漠然と“自分がマイノリティになる場所に身を置いてみたい”と思っていた私にとって、アジア人が1人という環境は絶好のチャンスとなるはずでした。しかし、留学当初は、他の学生達との雑談についていけずキッチンから足が遠のいてしまうことがありました。そんなときに、自分は何をもって“マイノリティであること”を定義しているのだろうと振り返りはじめました。大学には世界中から学生が集まっており、留学生であってもなくても人種や母国語はもちろん、皆一人一人違った生き方をしています。だからこそ目の前のその人自身と真剣に向き合う必要があります。そんな中で、自分自身が、言語能力という努力や工夫次第で変えられる部分に少なからず負い目を感じ、理不尽に自分と周囲との線引きを行っていたことが途端に恥ずかしくなりました。また、大学の講義の中でも学生達はそのバックグラウンドに関わらず皆平等です。多少言葉に詰まっても手を挙げて質問し、考えを述べることを尊重する空気がありました。例えば、私は授業でのプレゼンテーションに苦手意識を持っていましたが、不安な点を明確にすることで先生や友人が力を貸してくれました。何をどれだけ、どのように学ぶのかは学生の自主性に委ねられている状態であり、自分のやりたいようにできる環境でした。

全ての人が異質で面白い、そう思えてからは、自分が正しいと無意識のうちに信じていたことを見つめ直すようになりました。例えば、友人達と、地球温暖化と経済発展のジレンマについて話しているとき、生まれ育った場所によってこの問題が全く異なる意味を持つことに気づかされました。自分の目には見えていない違ったものごとの捉え方が世界には無限にあるということは自分を豊かにしてくれるように思います。もっとも、それを認めるためには心の余裕が必要になりますが、少なくとも、これからもその事実を頭の片隅に置いておきたいです。