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中間子と原子核からできている『新しい原子』の研究


[ リリース: 2017.01 ]
奈良女子大学 理学部 数物科学科 物理学コース 教授 比連崎悟

自然界に存在する4つの基本的な力のうち、強い力が働く微小な粒子はハドロンと呼ばれる。我々は、新しいハドロンの多体系(集合体)を通して、強い相互作用の世界の研究を進めている。特に、通常と異なる『新しい原子』に注目している(参考文献1)。

・物質の階層構造の断絶と強い力が支配する世界

我々が研究の対象としているのは様々な現象が強い力によって起こる世界である。まず、その世界がどこにあるのか理解するために、身の回りに存在する物質の階層構造とその階層間に存在する『断絶』を説明しよう。学校で理科を勉強すると身の回りの物質は分子や原子から出来ていることを学ぶ。しかし原子自身も物質の最小の単位ではなくて、分子→原子→原子核→陽子と中性子→クォーク、と原子よりもさらに小さな構成粒子から出来ている。陽子と中性子は強い力が働くハドロンの一種である。そして、この階層構造の中で、『分子・原子』のグループと、『原子核・陽子と中性子・クォーク』のグループの間に大きな断絶があることをご存知だろうか?この断絶を境目にして、粒子の大きさや粒子間に働く力の強さは1万倍〜10万倍程度突然変化する。例えば、人間の歩行速度とジェット旅客機の速度が高々200倍程度しか異ならないことを考えれば、10万倍の差が非常に大きいことが想像できるだろう。分子・原子のグループで働く重要な力は電気と磁気の力であって、これらと重力が、我々の身の回りで起こっている森羅万象のほとんど全てを支配している。ところが、原子核よりも微小な粒子の世界では、強い力が最も強力で様々な現象を支配している。そして、この強い力の世界は、我々の住む『電気と磁気の力の世界』の影響をほとんど受けない。すなわち、我々の世界には、日常我々が知覚できないもう一つの強い力の世界が同時に存在しているのだ。我々が研究しているのはこの強い力の世界である。

・中間子の原子とは何か?何がわかるのか?

身の回りに存在している普通の原子は、中心の原子核の周りを電子が回っている。電子は強い力を感じない種類の粒子(レプトンと呼ばれる)であり、普通の原子を形作るためには電気と磁気の力が重要である。中心にある原子核は、陽子や中性子といったハドロンの集合体であるが、これに更に別のハドロンである中間子を「くっつけて」ハドロンのみが集まって出来た『新しい原子』を作ることができる。すなわち、普通の原子中の電子を中間子で置き換えたものが、新しい原子『中間子原子』である。図1に様々な中間子が原子核にくっついたハドロン集合体の模式図を示した。中間子の中で代表的なものは湯川秀樹博士が提唱したパイ中間子である。負電荷を持ったパイ中間子は、電気の力と強い力の両方の効果によって原子核の周りに束縛されてパイ中間子原子を形成する。このパイ中間子原子は、強い相互作用の世界を眺める新しい『窓』として、次に説明するような重要な役割を果たしている(参考文献2)。

 まず第1に重要で面白い点は、強い力で結びついた物質の性質を研究する基礎を与える点である。皆さんの身の回りで起こる森羅万象のうち、いわゆる化学的な変化に基づく部分は、上で述べたようにすべて電気と磁気の力によって生じている。実は強い力の方が、電気・磁気よりも複雑な性質を持つことがわかっていて、ハドロンが集まった物質は身の回りの物質を超える複雑な世界を形成する可能性がある。人間も含めた生物自身の活動も「電気と磁気の賜物」であることを考えれば、強い力で活動する「ハドロンの塊でできた生物」がいるかもしれない()。そのような可能性を探る基礎となるのが、ハドロンのみでできた中間子原子等の研究ということができる。

 次に重要な点は、中間子を原子核の中に浸み込ませることによって、「クォークの世界」と「ハドロンの世界」の関係を探ることができると考えられている点である。この2つの世界の間には、上で述べた階層の断絶とは異なる不思議な転移が起こっていると考えられている。例えば、誰にでもわかりやすい話として、身の回りの物質の質量の起源がこの点に関係していることを挙げることが多い。我々の体も含めて身の回りの物質の質量は殆どすべて原子核の質量であり、それは陽子と中性子の質量の合計にほぼ等しい。しかしながら、有名なヒッグス機構によってクォークが得る質量は、これに比べてとても小さい。クォークの質量の単純な合計は、陽子・中性子の質量の5%未満であって、残りの95%以上の質量は、ばらばらのクォークがくっついてハドロンを形成するときに生じたと考えられる。これは一体どういうメカニズムなのだろうか?これを理解するために、ハドロン同士を近づけて圧縮し、中身のクォークの働きが見えやすい状況を作り出す実験が種々行われている。その一つとして中間子原子を利用することも重要である。つまり中間子を原子核中に浸み込ませて、その様子を調べるのである。図2には現在考えられている中間子の質量獲得のメカニズムの概念図を示してある。


図1 種々の中間子が原子核にくっついて出来た、新しいハドロン集合体の模式図(参考文献1より)。電子の代わりに中間子が原子核の周りを回っているものを「中間子原子」、原子核の内側に中間子が殆ど入っているものを「中間子原子核」と呼ぶ。



図2 擬スカラー中間子と呼ばれるハドロンが、実験で観測されるような質量を持つ、現在信じられているメカニズムの概念図。首都大学東京の慈道大介氏による(文献:D. Jido, S. Sakai, H. Nagahiro, S. Hirenzaki, N. Ikeno, Proceedings of 11th International Conference on Hypernuclear and Strange Particle Physics (HYP2012), Nuclear Physics A914, pp.354-359, (2013)、 H. Nagahiro, D. Jido, H. Fujioka, K. Itahahsi, S. Hirenzaki, Phys. Rev. C 87, 045201 (2013). より)。


・最新の研究と今後の展開

パイ中間子原子の存在は古くから知られていたが、我々が世界に先駆けて生成・観測に成功した「深く束縛されたパイ中間子原子」により、前節で紹介したような研究分野が発展してきた(参考文献2)。現在では、パイ中間子原子の他に、K中間子、η中間子、ηV 中間子、φ中間子などを原子核中に入れる研究も進んでいる。特にηV中間子の質量が非常に大きくなるメカニズムは最近国際的に興味を持たれている(図3、参考文献4)。これ以外にも中間子それぞれに個性があり、種々の中間子を用いて強い力の世界の様々な側面を研究することができる。この分野では理論的研究と実験的研究が相互に刺激し合いながら密接に協力して進んでおり、今後の発展が楽しみである。



図3 η’ 中間子の質量が、擬スカラー中間子の中で例外的に重くなる、現在信じられているメカニズムの模式図(参考文献1より)。


(注)このアイディアは Scientific fictionでは以前から現れている。ロバート. L. フォワード著「竜の卵」早川書房 は大変面白く読ませて頂いた。

参考文献

1、 「中間子原子の物理 -- 強い力の支配する世界 --」比連崎悟著、基本法則から読み解く物理学最前線、共立出版(2017年出版予定)
http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320035355
(物理の基礎知識がある大学生位の方にお勧めする参考書。)

2、 「Deeply bound pionic states in heavy nuclei」
T. Yamazaki, S. Hirenzaki, R. S. Hayano, H. Toki, Phys. Report 514, 1 (2012).
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0370157312000129
(パイ中間子原子研究の総合報告書。大学院生から専門家向け。)

3、 「Precision Spectroscopy of Pionic 1s States of Sn Nuclei and Evidence for Partial Restoration of Chiral Symmetry in the Nuclear Medium」
K. Suzuki et al., Phys. Rev. Lett. 92, 072302 (2004).
http://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.92.072302
(深く束縛されたパイ中間子原子観測に関する最も重要な原著論文の一つ。大学院生から専門家向け。)

4、 「Measurement of excitation spectra in 12C(p,d) reaction near the eta-prime emission threshold」
Y. K. Tanaka et al., Phys. Rev. Lett. 117, 202501 (2016).
http://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.117.202501
(世界で初めてのηV中間子原子核観測実験に関する報告の原著論文。本稿執筆時点での最先端研究の一つ。大学院生から専門家向け。)