理学部・大学院HOME > 研究紹介 > 研究事例

最新の研究紹介

タンパク質・DNA間の結合に新機構を発見
−分子の揺らぎを利用するラチェットの可能性−



[ リリース: 2021.1 ]
奈良女子大学理学部 数物科学科 物理学領域 教授 戸田幹人

 国立遺伝学研究所名誉教授 嶋本伸雄と杵淵隆(元博士研究員)、奈良女子大学教授 戸田幹人、岡山大学大学院自然科学研究科特命教授(研究) 奈良重俊、北海道大学電子科学研究所教授 小松崎民樹、東北大学多元物質科学研究所准教授 鎌形清人、国立遺伝学研究所元所長 富澤純一(故人)から成る研究チームは、DNAとタンパク質の結合に関して新たなメカニズムを発見しました。このメカニズムは、DNA・タンパク質の結合において、これら生体分子の揺らぎが重要な役割を果たしている可能性を示唆しており、生命現象の基幹を成す原理として、新たな指針を与えることが期待できます。本研究成果は、令和2年(2020年)9月24日(木)に、英国科学誌「Scientific Reports」にオンライン掲載されました。

(1)研究の背景

 DNAは、生物の体の設計図となる物質です。DNAに記された情報に基づいて、生物の体を形作る様々な物質が合成されます。この合成は、DNAに結合するタンパク質等によってなされており、DNAとタンパク質との結合メカニズムを解明することは、生命現象の根幹を理解するために不可欠であるとともに、医療を始めとして多くの応用可能性を持ちます。
 従来、タンパク質とDNAとの結合メカニズムは、統計力学で「詳細つり合い」と呼ばれる条件を満たすと仮定されてきました。これに対して、国立遺伝学研究所の嶋本伸雄は、93年に世界で初めて、タンパク質分子がDNA分子の上をすべることができることを実証し、さらに99年には杵淵隆とともに、DNA結合タンパク質の1種であるTrpRとDNAの結合が、「詳細つり合い」を破ることを示す実験結果を得ました。しかしこの実験結果は、「詳細つり合い」の成立を自明と考える研究者達に受け入れられず、その解明は長く理論的な課題となっていました。

(2)今回の研究成果

 今回の研究成果は2点あります。第1に、「詳細つり合い」を破る理論モデルによって、嶋本らの実験結果を良く説明することに成功し、第2に、「詳細つり合い」の破れの背後に、生体分子の揺らぎに起因する「ラチェット機構」が働いている可能性を指摘しました。タンパク質やDNAのように大きな生体分子は、従来の化学反応理論が対象としてきた簡単な分子と異なって、反応過程に際して様々な動きを伴います。それらの動きのうち特にゆっくりとした運動が「ラチェット機構」を生み出します。その意味で今回の研究成果は、嶋本達が実験対象としたDNA結合タンパク質TrpRに限定されるものではなく、広くDNAとタンパク質の結合過程に応用できる可能性を持っており、DNAからタンパク質合成に至る過程を理解する際に、重要な指針となると考えられます。
 



         図1(a)詳細つり合いが成立する場合は、各駐車場のペア間の交通量は等しい。
              この場合、交通流の循環は存在しない。
           (b)詳細つり合いが成立しない場合は、交通流の循環が存在する。
              図の場合は時計回りA=>C=>B=>Aの循環。


(3)詳細つり合い

 今回の研究において鍵となる「詳細つり合い」を簡単に説明しましょう。図1には三か所の駐車場A、B、Cが描かれています。図において、矢印の向きは車の移動方向を示し、矢印の太さは移動する車の台数を表します。これらの駐車場に駐車している車の台数が時間的に変動しない場合を想定します。この時、次の2通りの場合が考えられます。図1(a)に示す場合では、どの駐車場のペア、AとB、BとC、CとAを取っても、それら2か所の駐車場の間を行き来する車の台数は必ず等しくなっています。これが「詳細つり合い」です。この時、三か所の駐車場をA=>B=>C=>A、またはA=>C=>B=>Aと循環する車の流れは存在しません。これに対して図1(b)では、2か所の駐車場のペアのそれぞれについて、ペアの間を行き来する車の台数が異なっており、その結果、循環する流れが存在します。嶋本達の実験結果が示すのは図1(b)の場合です。


図2(a)詳細つり合いが成り立つ場合



図2(b)詳細つり合いが破れている場合



 嶋本達の実験を図2に示します。3か所の駐車場に対応するのは、次の3つの状態です。Iはタンパク質分子がDNA分子から離れている状態、IIはタンパク質分子がDNA分子をすべっている状態、IIIはタンパク質分子がDNAの特定の場所(この場合はtrpO )と安定に結合している状態です。図2(a)のように「詳細つり合い」が成立していると3つの状態を循環する流れは存在しません。しかし嶋本達の実験結果は図2(b)に示すようにI=>II=>III=>Iという循環が存在することを示します。この循環の大きさはDNAが長いほど大きくなります。嶋本達が実験的に見出したのは、DNAが長いほど、タンパク質分子の結合効率が高いという結果(アンテナ効果)でした。この効果は非常に大きくなることもあり、タンパク質の結合効率はTrpRのように1万倍にも増幅される場合があります。この「アンテナ効果」を理論的に説明することが今回の研究課題でした。

(4)ラチェット機構

 「ラチェット機構」についても駐車場を用いて説明しましょう。今度は、各駐車場の時間当たりの駐車料金も考慮しましょう。当然、駐車料金が安いほど、多くの車が駐車するでしょう。しかし駐車場が混んでくると、すこし高めの駐車場を選ぶ車もあるでしょう。その結果、それぞれの駐車場に駐車する車の台数が決まります。各駐車場が駐車料金を変更しなければ、やがては各駐車場に駐車する車の台数は時間的に変動しなくなるでしょう。その時には「詳細つり合い」が成立すると考えられます。ここで各駐車場が、駐車料金を変えたとします。例えば値段が高かった駐車場が、駐車料金を安くしたという場合です。この時、駐車場の間を移動する車の流れが生じるでしょう。このようなことが分子に起こっていると考えるのが「ラチェット機構」です。駐車料金に対応するのは、それぞれの分子の状態の例えばエネルギーであり、エネルギー変化を生み出すのはDNAあるいはタンパク質の様々な動きです。このように「ラチェット機構」を考えることで、嶋本達が見出していた「アンテナ効果」を理論的に説明することに成功しました。


雑誌
Scientific Reports (英国)
(DOI: https://doi.org/10.1038/s41598-020-71598-3)


著者(*はコレスポンディング著者(2名))
物質デバイス共同研究拠点 奈良女子大学教授                      *戸田幹人
             岡山大学大学院自然科学研究科特命教授(研究)および名誉教授  奈良重俊
             北海道大学電子科学研究所教授                 小松崎民樹
             東北大学多元物質科学研究所准教授               鎌形清人
国立遺伝学研究所     名誉教授                          *嶋本伸雄
             博士研究員(実験実行者・現オリンパス)            杵淵隆
             元所長(故人・文化功労者)                  富澤純一

なお本研究は、JSPS科研費、物質デバイス共同研究拠点の助成のもとに行われました。


用語解説
*TrpR:トリプトファンリプレッサーで、18bpのtrpOオペレーターに結合し、トリプトファン合成に必要な酵素群のmRNAの合成を止める。

*ラチェット機構:ラチェットとは爪車装置を指す。アメリカの物理学者ファインマン他によって考えられた思考実験の装置。熱力学第2法則に基づいて取り出せる1方向的な流れを議論するため用いられた。