理学部・大学院HOME > 研究紹介 > 研究事例

最新の研究紹介

大自由度カオス系の時系列解析に新たな手法
−ウエーブレット変換と次元縮約の組み合わせ−



[ リリース: 2021.2 ]
奈良女子大学理学部 数物科学科 物理学領域 教授 戸田幹人
奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程院生 冨士香奈(当時、現在は東京大学博士研究員)

 奈良女子大学教授 戸田幹人と、同大学院人間文化研究科博士後期課程院生 冨士香奈(当時、現在は東京大学博士研究員)は、大自由度カオス系の時系列解析に関して新たな手法を開発し、その有効性を数値的なモデル計算で実証しました。この手法は、大規模分子動力学シミュレーションで得られるデータに対する解析など、幅広い方面に応用が期待されます。本研究成果は、令和元年(2019年)12月23日に、英文科学誌「Progress of Theoretical and Experimental Physics」にオンライン掲載されました。

(1)研究の背景:カオス現象とは?

 近代科学はニュートンに始まります。ニュートン力学によって、万有引力で互いに引き合う物体の運動を微分方程式で表せるようになり、この微分方程式を解くことで、天体の運動を予測することが可能になります。実際、ハレー彗星の地球接近の時期がニュートン力学に基づいて計算され、それが正しいことが観測によって確かめられました。このようにして、近代科学によって未来の予測が可能であることが、人々に強く印象付けられることとなりました。


図1(a)規則的な運動  (b)規則的な運動と不規則な運動が混在  (c)不規則な運動



 ところが19世紀の終わり頃、ニュートン力学の研究の進展から、意外なことが明らかになってきました。そのきっかけは、三体問題と呼ばれる問題の研究でした。たとえば太陽系において、小惑星のうちの1個が、太陽と木星からの引力の下で運動する場合を考えましょう。合計で3個の天体が関係するので三体問題と呼ばれます。この問題を研究していたフランスの数学者ポアンカレは、小惑星が極めて複雑な軌道を描くことを発見しました。そのような複雑な軌道は三体問題に限らず、ニュートン力学で記述される様々な問題でも見られることが、その後の研究でわかってきました。その一例を図1に示しましょう。図1(a)では規則的な運動が見られます。これは太陽の周りを回る地球の公転など、周期的な軌道に相当します。それに対して図1(b)では、規則的な軌道と不規則な軌道が混在し、図1(c)では、もっぱら不規則な軌道が目につきます。このように、未来の予測が可能だと思われてきたニュートン力学において、複雑かつ不規則な軌道が見られる場合が数多くあり、その軌道の予測は極めて困難になるのです。
 さらにその後の研究によって、このような不規則な運動は、太陽系などの天体の運動に限らず。気象現象や電気回路にも表れ、生態系における個体数の時間変化や、身近な例では水道の蛇口から落ちる水滴の落下間隔にも見られることが分かり、今ではカオス現象と呼ばれています。気象現象のシミュレーションにおいて、複雑な運動を始めて見つけたアメリカの気象学者ローレンツは、天気予報が困難なのは、このような不規則な運動が存在するからだと言っています。

(2)カオスはなぜ起きるのか?:共鳴

 カオス現象が生じる理由は、いくつかありますが、その一つが「共鳴の重なり」です。まず、「共鳴」を説明しましょう。子供だった頃、ブランコをこいだ経験を持つ人は多いでしょう。どのようにブランコをこいだでしょうか。ブランコが最も地面に近いところで体を伸ばし、最も高い地点で体を縮める。この動作を繰り返したのではないでしょうか。これは「共鳴」によって、ブランコに効率的にエネルギーを供給しているのです。子供の時には、そのようなことは考えなかったと思いますが、ブランコは「共鳴」を理解する非常に良い問題になっています。このように、対象(この場合はブランコ)の運動の周期に合わせて働きかけの強さを変化させると、効率的に対象を動かすことができる、それが「共鳴」です。
 「共鳴」は様々なところに見られ、利用もされています。身近な利用の例では、テレビなどのチャンネルは「共鳴」によって、特定の周波数の電波を選び出しています。楽器も「共鳴」を利用しています。たとえばバイオリンの音色は、弦と本体との「共鳴」によって作り出されます。他方で地震では、地震の揺れと「共鳴」して大きく揺さぶられた建物に甚大な被害が出ます。カオス現象は、このような「共鳴」が多数、同時に生じることから生み出されるのです。これを「共鳴の重なり」と呼びます。

(3)カオスを理解する:ウエーブレット変換

 このようなカオス現象を理解するには、複雑かつ不規則な動きの中に、どのような「共鳴」が存在するか、明らかにすることが必要だと考えられます。そのことを可能にするのがウエーブレット変換です。ウエーブレット変換はフーリエ変換の拡張なので、まずフーリエ変換を説明しましょう。具体例として人間の出す声を考えましょう。人間の声は、のどにある声帯が震え、空気を振動させることで発生します。私たちは自分や他の人の声を聴くと、その声の大きさや、高音か低音かを認識できます。このように、振幅(声の大きさ)や振動数(声が高いか低いか)に関する情報を取り出す方法がフーリエ変換です。さらに私たちは、人々の出す声が高くなったり低くなったり、その時間的な変化を認識できます。このように、振幅や周波数の時間的変化を解析する方法がウエーブレット変換です。ウエーブレット変換という数学的な手法が発見されたのは1980年頃のことですが、驚くべきことに私たちの耳には、ウエーブレット変換を行う仕組みが備わっているのです。
 図2に簡単にウエーブレット変換の考えをしめします。図2(a)はウエーブレット変換の考えの元になった「窓フーリエ変換」という方法です。図2(a)の下半分に示すのは、或る人の声だと考えてください。人間の声は、ゆっくりした振動(低音)や速い振動(高音)が混在し時間変化します。それに対して時間的な「窓」を設定し、その「窓」の中の振動だけを取り出そうというのが「窓フーリエ変換」です。しかし図から分るように、速い振動では「窓」の中に沢山の振動が入り、正確な解析が可能ですが、ゆっくりした振動は「窓」の中に納まりきれず、正しい解析ができません。これを改良したのがウエーブレット変換です。ウエーブレット変換では、速い振動では「窓」を狭くし、ゆっくりした振動では「窓」を広く選ぶことで、どのような振動に対しても同じ精度の解析ができます。


図2 ウエーブレット変換の考え



 ウエーブレット変換という方法を初めて考え付いたのは、フランスのモルレーという研究者ですが、彼は鉱山を開発する会社で働いていました。モルレーは、地中深く埋蔵している鉱脈を発見するために、新たな方法を開発する研究から、ウエーブレット変換の考えに到達しました。この方法を応用して、カオス現象の中にある「共鳴」を発見しようというのが、今回の研究の基本的なアイデアです。

(4)複雑さの解析:次元縮約

 ウエーブレット変換によってカオス現象にある共鳴を発見することができます、しかしカオス現象に見つかる共鳴は多数あり、それらは複雑に関係しています。その中から重要な共鳴を選び出す方法が「次元縮約」です。次元縮約は、どんなデータに対しても有効という訳ではありませんが、うまく行った場合には非常に有用な方法です。今回は、様々に提案されている手法の中から「主成分解析」という方法を選びました。
 図3に「主成分解析」の考えを示します。図で散らばって分布している点の一つ一つがデータを表しています。図では2次元平面に点が散らばっていますが、実際に解析の対象とするデータは、たとえば100次元空間など、非常に次元の大きい空間に散らばっています。この散らばり方を見たときに、或る方向の散らばり方と他の方向の散らばり方に、大きな違いがあるとしましょう。図3では二つのベクトルの方向への散らばり方に差があります。このような違いがある場合、散らばり方の大きい方向だけを考えて、他の方向への散らばり方を無視できれば、データを小さな次元の中で考えることができます。これが「次元縮約」という方法です。この方法がうまく行くためには、データの散らばり方に大きな差があることが前提です。また、散らばり方を表すベクトルは、線形代数で固有ベクトルと呼ばれるベクトルです。私たちの研究ではウエーブレット変換で見つけ出した「共鳴」に対して、主成分解析を応用して「次元縮約」を行い、重要な共鳴を抽出しました。このようにして見出した「共鳴」が、カオス現象の理解に役立つことを、数値的なモデル計算で検証したのです。


図3 主成分解析の考え方



 以上の研究は下記の英文学術雑誌に公表されています。論文はオープンアクセスなので、雑誌のサイトから無料でダウンロードできます。また、本研究は著者のひとりである冨士さんの博士論文(日本語)となり、この論文で冨士さんは博士号をえました。冨士さんの博士論文は奈良女子大学のサイトに公開されています。

雑誌
Progress of Theoretical and Experimental Physics 
(DOI: https://doi.org/10.1093/ptep/ptz129)


著者
奈良女子大学研究院自然科学系物理領域  教授     戸田幹人
奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程(当時) 冨士香奈

なお本研究は、JSPS科研費、物質デバイス共同研究拠点の助成のもとに行われました。