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最新の研究紹介

mission DELHIS
―COVID-19感染拡大によるロックダウンがもたらした予期せぬ社会実験―


[ リリース: 2021.3 ]
奈良女子大学理学部 化学生物環境学科 環境科学領域 教授  林田佐智子(総合地球環境学研究所兼務)
奈良女子大学大学院人間文化総合科学研究科博士前期課程  新田佳歩

 2020年4月、奈良女子大学と総合地球環境学研究所の機関連携プロジェクトAakash が始まりました。Aakash とはインドの言葉(ヒンディ)で空と言う意味です。現在、大気汚染が最も酷いといわれる世界の都市のうち多くがインドの都市です。特に近年、人口密集地である首都デリー地区では10 月下旬から11 月初旬にかけ、深刻な大気汚染が発生し、急性の呼吸器疾患に苦しむ人々が大勢出ています。この時期に発生する大気汚染の原因の一つとして、デリーの北西に位置する農村地域における稲の藁焼きが注目されています。稲刈りのあと、残った藁を大量に焼却するのです。インド政府は、2018年から藁焼き低減対策のための補助金を出すことになりました。現地では、藁を焼かない農法への転換が始まろうとしています。
 この研究プロジェクトは、大気浄化と健康被害改善に向けて人びとの行動を変えるためにはどうしたらよいか、その道筋を探求するものです。そのために、日本全国の研究者約40名に加え、インド他海外の研究者約30名が参加し、5年がかりのプロジェクト研究を実施します。研究組織は大きく3つの班に分かれています。大気汚染物質の監視や衛星観測データを分析する大気班、人びとの健康被害を評価する公衆衛生班、農業の方法や農家の生活を調査する農村研究班です。奈良女子大学理学部で研究を行っているリモートセンシングの研究グループ(林田研・村松研・久慈研)は、このプロジェクトの中で、藁焼きをリモートセンシングで検知することや、大気汚染物質の分布や発生量の推定に取り組んでいます。小型のセンサーを使って、大気汚染物質の中でも健康に大きな影響があるPM2.5(空気中の小さな粒子)を、広域で測定するなど、ユニークな取り組みも行っています。

 2020年には、新型コロナウイルス(COVID-19)パンデミックが始まり、プロジェクトとしては、予期せぬ波乱の船出となってしまいました。その一方で、思いがけない貴重な現象に遭遇することになりました。2020年2月から3月にかけ、COVID-19感染拡大を防止するために、多くの国でロックダウンと呼ばれる厳しい人の移動制限が行われました。インドでは、3月25日から全国規模のロックダウンが開始されましたが、その結果、一時的に大気汚染物質の放出が抑制され、大気汚染が改善されました。そこで、Aakash大気班では、4月早々から頻繁にオンラインの会議を行って情報を共有し、デリー首都地区における人為起源(人間活動が原因)の大気汚染物質の放出量を定量的に推定することに挑戦しました。この活動はmission DELHIS(Detection of Emission change of air poLlutants: Human Impact Studies)と名付けられました。

 図1に示しているのは、人工衛星センサーTROPOMIで観測された二酸化窒素(NO2)という大気汚染物質の、ロックダウンの直前と直後の差です。ピンでインドの大都市を示していますが、すべての大都市で濃度が減少(青で示されている)しています。特にデリーではその程度は顕著でした。衛星から観測できるのは大気汚染物質(ここでは二酸化窒素)の濃度ですが、濃度の情報を使うと、その地域からの「発生量」を推定できます。 図2は、デリー首都地区を拡大した示した「NO2放出量」です。ロックダウン直後は一時的に車の移動や工場の操業がほぼ完全に停止しましたから、ロックダウンの前後の様子から、人間活動の「ある時」と「ない時」の違いを調べることが可能になったのです。このように、ロックダウンは、社会活動を一時的に停止させた、大きな社会実験とも言える状況を生み出しました。私達は予期しない社会実験の結果を見ることになったわけです。


図1 TROPOMIで観測された2020年の3月15-21日(ロックダウン前)と 3月22-28日(ロックダウン後)のNO2濃度の差。ピンはインドの大都市を示す。1, Delhi; 2, Mumbai; 3, Lahore; 4, Islamabad; 5, Karachi; 6, Dhaka; 7, Chittorgarh; 8, Hyderabad; 9, Chennai; 10, Bangalore. 青は減少、赤は増加を示している。(新田佳歩,令和2年度奈良女子大学修士論文)



図2 図1のデータに基づいて求めた、デリー首都地区における人工起源の二酸化窒素排出量の推定結果。左はロックダウン前、右はロックダウン直後。赤く示されているのは、道路や建物が密集する市街地や発電所からの排出量(Misra et al., submitted to Scientific Report)。



 mission DELHISでは、二酸化窒素の他、エアロゾル(微粒子)の現地観測結果の分析なども行われ、以下で示す論文が投稿・出版されました。

mission DELHISからの主な研究成果
(査読付論文)
(1)Rethinking Air Quality and Climate Change after COVID-19, Joseph Ching, Mizuo Kajino*,
Int J Environ Res Public Health, 17(14):5167.
(https://doi.org/10.3390/ijerph17145167, 2020.)

(2)PM2.5 diminution and haze events over Delhi during the COVID-19 lockdown period: an interplay between the baseline pollution and meteorology,
Surendra K. Dhaka, Chetna, Vinay Kumar, Vivek Panwar, A. P. Dimri, Narendra Singh, Prabir K. Patra, Yutaka Matsumi, Masayuki Takigawa, Tomoki Nakayama, Kazuyo Yamaji, Mizuo Kajino, Prakhar Misra, Sachiko Hayashida,
Scientific Reports, 2020.

(3)Mapping Brick Kilns to Support Environmental Impact Studies around Delhi Using Sentinel-2,
Misra, P.; Imasu, R.; Hayashida, S.; Arbain, A.A.; Avtar, R.; Takeuchi, W.,
ISPRS Int. J. Geo-Inf., 9, 544. 2020.


その他Aakashプロジェクトからの研究成果
(1) Masayuki Takigawa, Prabir K. Patra, Yutaka Matsumi, Surendra K. Dhaka, Tomoki Nakayama, Kazuyo Yamaji, Mizuo Kajino, and Sachiko Hayashida,
Can Delhi’s pollution be affected by crop fires in the Punjab region?
Scientific online letters on the atmosphere:SOLA, 2020, Vol. 16, 77-80,
(https://doi.org/10.2151/sola.2020-015, 2020.)

(2)浅田 晴久(奈良女子大学文学部),
気候危機と人文学 人々の未来のために, 西谷地晴美 編著 (担当: 分担執筆, 範囲: 第7章 溶融する自然と社会―インドの大気汚染を事例に),かもがわ出版, 2020.

Aakash プロジェクトの詳細はHP, Twitter, Facebookをご覧ください。
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