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水素社会の実現に向けて―水素を二酸化炭素を利用してギ酸に貯蔵し,
ギ酸から水素を生成する


[ リリース: 2021.03 ]
奈良女子大学 理学部 化学領域
(有機金属・錯体化学研究グループ)
中島隆行・中前佳那子・棚瀬知明

 近年,石油や石炭を中心とした化石炭素資源の枯渇や二酸化炭素排出による地球温暖化など人類が抱える地球規模の問題を背景に,新代替エネルギーの開発とともに環境や資源に負荷の少ない環境に優しい物質社会の構築が強く求められています。特に,化石炭素資源が有限であることを考えれば,中長期的には,太陽光,風力などの再生可能な一次エネルギーを利用して発電を行い,水素を二次エネルギーとして運搬・貯蔵しオンサイトで燃料電池等により電力や動力を得るという社会システムの構築が必要であると考えられます(図1)。何しろ水素と酸素の反応からは水しか排出されません。


図1.水素を二次エネルギーとする社会システム(将来予測)




 しかし,水素は常温常圧で気体であり,酸素との反応性も高いので,安全に運搬・貯蔵することが難しいといった欠点もあります。その解決策として水素を有機分子に見かけ上取り込み,必要に応じて水素を取り出すことができる水素キャリアに注目が集まっており,その候補の一つにはギ酸(蟻酸)があります(図2)。ギ酸は炭素数が1の分子量が最も小さなカルボン酸であり,蟻(あり)から発見されたのでその名が付けられていますが,常温常圧で液体であり,安定に運搬・貯蔵が可能です。ギ酸の構造式(HCO2H)を見ればわかるように,ギ酸は水素(H2)と二酸化炭素(CO2)を足し合わせると合成でき,逆にギ酸を分解すると水素と二酸化炭素が生成するように思えます。実際はそれほど簡単ではありませんが,ある種の触媒を用いると実現できます。だからギ酸が水素キャリアとして有望なのです。つまり,触媒を用いて水素をギ酸に変換し水素の代わりにギ酸として貯蔵・運搬し,必要に応じてギ酸を分解することで水素を生成できます。そのため,水素と二酸化炭素からギ酸を生成する反応(水素貯蔵)および,ギ酸を分解し水素を生成する反応(水素生成)を効率的に進行させる触媒反応開発が盛んに行われています。これまでに知られている触媒の多くが,貴金属であるIr, Rh, Ruを用いますが高価です。そのため安価であるFe, Ni, Cuなどを触媒とする反応開発に期待が持たれています。この金属の中ではFeやNiを用いた研究例が最近増えてきたもののCuを触媒とする反応はほとんど知られていませんでした。


図2.水素キャリアとしてのギ酸の特徴



 われわれの研究室では,高価な貴金属触媒の代替となる安価な金属触媒による反応開発を目的として銅ヒドリド錯体に関する研究を行ってきました。金属イオンを安定化するのに優れた特徴を持つリン原子を複数もつ多座ホスフィン配位子を用いると様々な金属数(Cu2, Cu3, Cu4, Cu6, Cu8, Cu9, Cu16)や多彩な金属骨格をもつ銅ヒドリド多核錯体が合成できることを明らかにしてきました(図3)[1]-[8]。銅ヒドリド錯体とは,銅イオンに水素原子が結合した化合物で,銅錯体を触媒と用いた反応の触媒活性種として考えられてきましたが,反応性が高く不安定なため,これまでに単離され構造解析された例は限られていました。




図3.われわれの研究室で合成した銅ヒドリド多核錯体



 合成された銅ヒドリド錯体の反応性を検討する中で,幸運にも水素と二酸化炭素からギ酸を生成する触媒Cu8H6(図3(a))[7]と,ギ酸を分解して水素を生成する触媒Cu6H2(図3(d))[4]を見出すことができました。これらの触媒活性はいずれの場合も,貴金属触媒に比べると低いものではありますが,面白いことに様々な検討の結果,触媒活性種は銅イオンが複数集まった多核銅中心の構造をもつことが予想されました(図4)。これまでに報告されている多くの触媒反応は単核金属中心(1個の金属)で進行しています。一方,多核中心で反応が進む例は珍しく,複数の金属が助け合うことで1個の金属だけでは実現できない反応性の発現が期待されています。このような効果を一般に「金属間の協同効果」と呼び,触媒反応開発において注目を集めています。今回見出した報告例の少ない銅触媒によるギ酸の生成および分解反応は,まさに複数の銅イオンが協力することによる協同効果の結果であると考えられます。今後は,さらなる反応性の向上に向けて研究を行っていくと共に,銅多核中心を利用した新しい反応の開発も目指していく予定です。




図4.予想される触媒反応メカニズム (a) ギ酸の生成反応,(b)ギ酸の分解反応



もっと詳しいことが知りたい人のために

[1] K. Nakamae, B. Kure, T. Nakajima, U. Ura, T. Tanase, Chem. Asian J. 9, 3106-3110 (2014).

[2] K. Nakamae, M. Tanaka, B. Kure, T. Nakajima, Y. Ura, T. Tanase, Chem. Eur. J. 23, 9457-9461 (2017).

[3] T. Nakajima, Y. Kamiryo, K. Hachiken, K. Nakamae, Y. Ura, T. Tanase, Inorg. Chem. 57, 11005-11018 (2018).

[4] T. Nakajima, Y. Kamiryo, M. Kishimoto, K. Imai, K. Nakamae, Y. Ura, T. Tanase, J. Am. Chem. Soc. 141, 8732-8736 (2019).

[5] T. Nakajima, K. Nakamae, R. Hatano, K. Imai, M. Harada, Y. Ura, T. Tanase, Dalton Trans. 48 (2019).

[6] T. Tanase, R. Otaki, A. Okue, K. Nakamae, T. Nakajima, Eur. J. Inorg. Chem. (2019) 3993-4005.

[7] K. Nakamae, T. Nakajima, Y. Ura, Y. Kitagawa, T. Tanase, Angew. Chem. Int. Ed. 59, 2262-2267 (2020).

[8] T. Nakajima, K. Nakamae, Y. Ura, T. Tanase, Eur. J. Inorg. Chem. 23, 2211-2226 (2020).