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エネルギーから生命の進化と発展を考える


[ リリース: 2020.8 ]
奈良女子大学理学部 化学生物環境学科 環境科学領域 助教 瀬戸繭美

 「今日は何からエネルギーを摂取しましたか?」このように質問すると、多くの方は今日召し上がった食事を思い浮かべることでしょう。しかしながら私たちがエネルギーを獲得するためには食物を摂取することの他に酸素の摂取が必須です。何故なら私たちは「呼吸」をすることによってエネルギーを獲得しているからです。

 6 O2 + C6H12O6 → 6 CO2 + 6 H2O

 呼吸からエネルギーを取り出すことは、実は電池から電気を取り出すことと非常に似ています。私たちは電池のマイナス電極からプラス電極に電子が移動する性質を利用して電子の流れから電気を取り出します。呼吸の場合、有機物(上の式ではグルコースC6H12O6)の持っている電子が酸素へと移動する過程でアデノシン三リン酸(ATP)が合成されます。私たちは更にATPを水と反応させることで運動や代謝のために必要なエネルギーを生み出すことができます。エネルギーと生物を結びつけて理解しようと発展してきた学問分野はBioenergetics、日本語では「生体エネルギー論」と呼ばれています。

 有機物と酸素の例のように、地球上に存在する多様な物質の間で電子の流れが発生する可能性があります。私たちを含む動物は有機物と酸素の間の電子の流れしかATP生産に利用することができません。しかしながら細菌や古細菌はそれ以外の電子の流れを生み出す反応からATPを生産することができます。例えば二価鉄から酸素に電子が渡される鉄酸化反応からATPを生産するような微生物もいます。

 地球の生命の起源は未だに多くの謎に包まれています。生物の遺伝情報を遡って生物の最古の共通祖先(Last Universal Common Ancestor)を導き出すと、その生物は水素ガスから二酸化炭素に電子を渡す反応によってATPを生産していたのではないかという可能性が示されました(Weiss et al. 2016)。「熱力学」というエネルギーに関する理論に基づいて計算すると、この反応によって生産できるであろうATPの量は私たちの呼吸と比べて非常に少ないと予測されます。

 ATP、つまりは獲得できるエネルギーが少ない状況で生命はどのように増殖し、進化し、地球上の隅々まで拡大していったのでしょうか。私は生物のエネルギー獲得反応に基づいて微生物増殖をモデル化することで、時に紙と鉛筆による計算、しかし多くの場合はコンピュターシミュレーションを武器に、その謎を解き明かすことに挑戦しています。生物の増殖を数式化し、解析する手法は「数理生物学」という学問分野で学ぶことができます。昨年私たちは、異なるエネルギー獲得反応を利用する微生物が協力することによってATP生産量を増やし、生息域を拡大する可能性を発見し、Ecology Letters, Proceedings of the Royal Society Bという雑誌に論文を発表しました(Seto & Iwasa 2019; Seto & Iwasa in press)。また、他惑星における微生物増殖の可能性についてもエネルギー計算に基づいて検証しています(Seto et al. 2019)。生命が誕生した頃の生命の発展という途方もない謎にわたし1人で立ち向かっているわけではありません。国内外に沢山の研究仲間がいて、その方達に協力を仰ぎながら少しずつ前進しています。素晴らしい仲間達と学会活動などを通して出会い、お互いの知識を補い合って研究を推進していくことができるのが研究生活の醍醐味の一つです。

 エネルギーの側面から生物を考える研究の展開は多様で、微生物と植物の協力関係や、大気中の二酸化炭素濃度上昇によって生じる海洋酸性化に応じた生態系のエネルギー生産への影響についても他大学の研究者と協力して研究プロジェクトを前進させています。目に見えないエネルギーを定量化し、更に生物増殖に結びつけることは、生物自身の理解を深めるだけでなく、生態系や地球の成り立ちについても重要な仮説を与えてくれるのではないかという強い期待があります。

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図1.エネルギー獲得反応に基づく鉄酸化細菌(Leptothrix cholodnii)の環境への侵入可能性予測 (Seto 2014)



図2.メタン酸化菌の地球と火星における生存維持のための最小メタン必要量の推定 (Seto et al. 2019)



図3.エネルギー獲得反応をつなぎ合わせることで生物の生存環境が拡大することの概念図 (Seto & Iwasa 2019)


本研究に関する最近の論文

(1) Seto, M., and Iwasa, Y.
Microbial material cycling, energetic constraints and ecosystem expansion in subsurface ecosystems
Proceedings of the Royal Society B, in press.

(2) Seto, M., and Iwasa, Y.
The fitness of chemotrophs increases when their catabolic by-products are consumed by other species
Ecology Letters, 22, 1994-2005 (2019).
DOI: 10.1111/ELE.13397 (オープンアクセス)

(3) Seto, M., Noguchi, K., and Van Cappellen, P.
Potential for aerobic methanotrophic metabolism on Mars
Astrobiology, 19 (10), 1187-1195 (2019).
DOI: 10.1089/ast.2018.1943 (オープンアクセス)

(4) Seto, M., and Iwasa, Y.
Population dynamics of chemotrophs in anaerobic conditions where the metabolic energy acquisition per redox reaction is limited
Journal of Theoretical Biology, 467, 164-173 (2019).

(5) 瀬戸 繭美
呼吸の多様性が駆動する元素循環 門脇浩明・立木佑弥(編) 遺伝子・多様性・循環の科学 生態学の領域融合へ
京都大学学術出版会, 265-288 (2019).
https://www.amazon.co.jp/遺伝子・多様性・循環の科学-生態学の領域融合へ-門脇-浩明/dp/4814001908

(6) 瀬戸 繭美
化学合成細菌と物質フロー:生物地球化学と生態学の交差点
地球化学, 51巻4号, 185-913 (2017).


文中引用文献

・上記「本研究に関する最近の論文」の(1)、(2)、(3)

・Seto, M.
The Gibbs free energy threshold for the invasion of a microbial population under kinetic constraints
Geomicrobiology Journal, 31, 645-653 (2014).

・Weiss, M.C., Sousa, F.L., Mrnjavac, N., Neukirchen, S., Roettger, M., and Nelson-Sathi, S., et al.
The physiology and habitat of the last universal common ancestor
Nature Microbiology, 1, 1-8 (2016).